ここから本文です

歌人馬場あき子の波瀾万丈を通して、表現と歴史の両面に迫った好著 『寂しさが歌の源だから 穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈』 (馬場あき子 著)

本の話WEB 8/3(水) 12:00配信

忙しくても1分で名著に出会える『1分書評』をお届けします。
今日は俵万智さん。

 本好きの少女が、歌人馬場あき子になるまでの自伝的インタビュー。それだけでも十分に興味深いのだが、聞き手に穂村弘を配したからには、通り一遍の内容で終わるはずがない。年代も性別も作品の傾向も違うけれど、心通いあう二人の会話から、さまざまに深いものが垣間見える。

夭死せし母のほほえみ空にみちわれに尾花の髪白みそむ 馬場あき子

 結核のため二十八歳で他界した実母とは、一度ゆで卵を食べさせてもらった思い出しかないという。その母からの遺書を後年手にしたが、「死者から来た手紙だから」感情が湧かないわけよ、と語る馬場あき子。そこで、穂村弘が、でもこの歌は素晴らしいと「夭死せし…」の歌をあげる。

 若くして亡くなった母は、永遠に若く、天から娘を見守っている。見守られているほうの自分の髪には、もう白髪が出てきている。意味だけをとればそういうことだが、穂村の問いかけに、馬場あき子はこんなふうに答えた。四十歳を過ぎて、大事なものを残して逝く女の感情がわかるようになったのよね、と。一首が生まれる背景に流れる、長く分厚い時間と感情のうねりを感じさせられるひとことだ。

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

 この代表作の「幾春かけて」は、能という体を通して表現するジャンルから取り入れられた語だとのこと。それを歌ことばとして再発見する過程など、ぞくぞくするような話も出てくる。

 つまりなんでもかんでも、短歌の生まれる背景を知れば、それで理解が深まるというものではない。たとえば私に「サラダ記念日は昭和何年の七月六日ですか?」と聞いた記者がいたが、そういう観点で事実(あるとしたらだが)を知っても、プチトリビアにすぎない。穂村弘のインタビューは、詠み手の創作の秘密にまで届いているところが素晴らしい。

 学徒動員や終戦後の体験談などは、歌人ならではの描写で、まことにリアル。払い下げられた兵舎のベッドを、女学生たちが解体してゆくと、南京虫がびしーっと並んでいたとか。で「兵舎の南京虫は大きいんですよ、いい体の血を吸ってるから」とあき子。

 私たちからすれば歴史上の人物である窪田空穂を「やさしい、温かみのあるおじいさん」と評するところなども、おもしろい。

 帯に「豊穣なる昭和史」とあるのが、うなずける。馬場あき子の波瀾万丈を通して、表現と歴史の両面に迫った好著だ。

俵 万智(たわら・まち)

1962年、大阪府門真市生まれ。早稲田大学文学部卒。1986年、『八月の朝』で角川短歌賞受賞。1988年、『サラダ記念日』で現代歌人協会賞受賞。2004年、評論『愛する源氏物語』で紫式部文学賞を受賞。2006年、『プーさんの鼻』で若山牧水賞受賞。その他の歌集に『オレがマリオ』、エッセイ集に『旅の人、島の人』など。

文:俵 万智

最終更新:8/3(水) 12:00

本の話WEB