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日本代表が世界基準を導入したファルカン監督時代。フラット型4-4-2の試みは短命に【西部の4-4-2戦術アナライズ】

フットボールチャンネル 8/3(水) 10:20配信

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、日本代表が最先端の4-4-2システムを導入していた時代がある。短命に終わったファルカン監督時代だ。当時のサッカーを改めて振り返りたい。(文:西部謙司)

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世界基準だったファルカン監督

 94年米国ワールドカップ予選で敗退した後、オフト監督が辞任。新監督に就任したのはブラジル人のパウロ・ロベルト・ファルカンだった。ファルカン監督は現代的な4-4-2を日本代表に導入している。完全ゾーン、中盤はフラット型の横並び。機能的には現在の4-4-2に近い。

 ファルカンはブラジルのインテルナシオナルやASローマ(イタリア)で活躍した名手で、82年スペインワールドカップではジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾと組んだ「黄金の4人」の1人として大活躍した。

 指導者としては1年ほどブラジル代表監督を務めたが、そのときのコパアメリカ準優勝という実績しかない。現役引退後にイタリアでテレビの解説者として人気があった。ACミランがゾーンディフェンスとプレッシングを組み合わせたサッカーで世界的な注目を集めていた時期であり、ファルカンが日本に導入しようとしたのもそのスタイルだった。

 ところが、ファルカン監督は活動期間わずか9ヶ月で事実上解任されてしまった。アジア大会を入れても9試合しかやっていない。当時の最先端の戦術を導入しようとしたのだが、それが現状とかけ離れすぎていた。

技術、戦術、フィジカル。どれも要求水準を満たせず

 ファルカン監督が目指した戦術は、現在の代表選手たちなら問題なく実行できただろう。しかし、当時の日本代表にとってはあまりにも要求が高すぎた。ファルカン監督下でもプレーした柱谷哲二によると、「オフトよりも要求が高く、選手のレベルには全く合っていなかった」という。

 ファルカン監督は当初、若手を大量に招集して話題になっている。4年後のワールドカップを目指して世代交代を図る狙いがあったわけだが、指向するサッカーをやるには体力のある選手を集めたいという事情もあった。

 オフト前監督時代のメンバーの多くが外れ、スタメンクラスで残ったのは柱谷、三浦知良、井原正巳ぐらい。とりあえずフィジカル的に能力の高い若手を招集し、4年かけて形にしていくつもりだったようだ。

 しかし、いざ集めてみると監督の要求には全く応えられなかった。オフト前監督はメンバーを固定していた。オフトの戦術理論はメディアを通じて広まっていたとはいえ、直接指導を受けた選手は一握りだ。その選手たちも招集外、Jリーグに出たての若手にいきなり最先端の戦術をこなせというのが無理な話である。

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最終更新:8/3(水) 10:20

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