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誰にも止められないキューバの変化

JBpress 8/6(土) 6:00配信

 ブエナビスタ・ソシアルクラブに登場する老演奏家の多くはもう、死んでしまった。アメリカとキューバが国交を断絶したのは1961年。オバマ大統領が生まれた年でもある。それから今年で55年が経つ。

ヘミングウェイが通ったハバナのバー

 私が最初にキューバを旅行したとき、中部の町トリニダーから首都ハバナへ戻る乗り合いタクシーの中で、アメリカ人の旅行者と出会った。2013年のことだ。

 「アメリカ人ってキューバに来れるの?」と、おそらく少しぶしつけな質問をした私に、アメリカ人の彼は笑いながら答えた。

 「大変だけど、来れるんだよ。ほら、現に僕、来てるじゃん」

 「大変なの?  ビザ取るのが?」

 「そう。キューバに家族がいる人、キューバで研究をすることを認められた人、それからその他に芸能人とか要人の特例パス。その3タイプくらいかな、ビザが発給されるのは。たしか、Jay Zとビヨンセも有名人パスみたいなもので来ていたはずだよ」

 「あなたはどれなの、有名人なの」

 「わはは。そう言いたいけれど、僕は、前二者だね。僕はフロリダ出身なんだけど、両親は亡命キューバ人なんだ。祖父母は今でもキューバに住んでる。さらに僕は、大学院の研究テーマでキューバを選んでる」

 「なるほど」

 「ビザ取るのは大変だけど、来てみれば家族もいるし、田舎に帰る感じ。アメリカ人だからって敬遠されたりもないよ」

 「そういうものなのか」

 「そういうものだよ。とはいえ、アメリカドルを替えるのは大変だった。コミッションが付く上に、レートも良くない」

■ 外貨獲得のための二重通貨制度

 それなのに、アメリカドルと、キューバの外国人向け通貨は連動していた。キューバは二重通貨制を取っていて、外国人向けの通貨(CUC、互換ペソ)と、現地人向けの通貨(MN、人民ペソ)が分かれている。1CUCは1アメリカドルと等価で、1CUC=24MN。1CUCが100円ならば、1MNは約4円という計算である。

 こんなめんどくさいシステムのあらましは1990年代にさかのぼる。そのころ、アメリカによる経済封鎖の続く中で、最大の支援国だった旧ソ連が崩壊したため、キューバは経済危機に陥っていた(1993年~94年のGDPはその前までの6割に落ち込んだとされる)。

 経済危機を受けて94年、キューバ政府は、国策として観光産業を押し出すとともに二重通貨制度を導入することにした。国内で社会主義経済を維持しながら外貨を獲得するためだった。

 2つの通貨の差は大きかった。たとえば道端の商店でキューバ人向けのサンドイッチが5MN(20円)で売っている隣で、外人向けカフェではランチのサンドイッチが5CUC(500円)だったりする。クオリティーは違うのだが、単純化すると、外国人向けの物価がキューバ人向けの物価の24倍ともいえる。

 私は宿やカフェでCUCを支払いながら、ときおり地元の食堂や売店に入ってMNを使い、通りを走る50年代のクラシックカーを眺めては、ライブハウスにキューバ音楽を聴きに行った。ヘミングウェイゆかりのバーでダイキリを飲んだり、チェ・ゲバラの葉書を買って友人に手紙をしたためたりした。ラムは強く、カリブ海は青く、道端では男女が音楽に合わせて踊っている。まだ中南米の旅を始めて間もない時期で、「古き良きキューバ」は実際にどこまで特殊なのか、よく分からなかった。

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最終更新:8/6(土) 6:00

JBpress

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