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初戦の守備崩壊から手倉森Jをいかに立て直すか アテネ五輪代表主将が語る「12年前の教訓」

Football ZONE web 8/7(日) 20:47配信

2004年アテネ大会で失意を味わった那須 自らのミスで初戦黒星を招く

 五輪初戦での守備崩壊――。それをキャプテンとして、DF陣の一角として経験した男が、手倉森ジャパンにエールを送っている。2004年のアテネ五輪でキャプテンを務めたDF那須大亮(当時横浜FM、現浦和)は、4-5で初戦のナイジェリア戦を落とした若き日本代表に、いかにしてメンタル面を立て直すかの重要性を説いた。

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 アテネ五輪、同世代には田中マルクス闘莉王(当時浦和)や阿部勇樹(当時千葉、現浦和)などがいたなかで、キャプテンを務めたのは那須だった。那須は初戦のパラグアイ戦に先発出場したものの、自らのミスによって相手に先制点を献上。さらに1-2で迎えた前半37分にも中途半端な競り合いによって相手に背後のスペースを取られてしまい、3失点目の起点となってしまった。那須はハーフタイムでベンチに下がり、チームも最終的に3-4で敗れた。

 責任を感じた那須は、第1戦の後に丸刈りにして続くイタリア戦にも途中出場したものの、チームは一度狂った歯車を修正することができず2-3で敗れて痛恨の連敗。第3戦のガーナ戦(1-0で勝利)を待たずに、グループリーグ敗退が決まった。

 このゲームを、那須自身は「半年ぐらいずっと頭に残っていて、日本に帰ってきてからも岡田さん(武史/当時の横浜FM監督)に『あの頃のお前は悩んでいただろ』って後で言われたほどなんです」と振り返る。それだけ、ショッキングな体験だった。

 そうした辛い経験をしたからこそ、「いかに気持ちをポジティブに持っていけるかだ」と、力を込めた。

「初戦で勝てずいろいろ考えると思うけど…」

「守備の整備ということで、いろいろな確認はあると思うけど、それよりも結果的には気持ち的な部分だと思う。いかにシンプルに『勝つ』ということを考えられるか」

 そして今こそ日本の持つ武器であり、原点に立ち返るべきだと那須は話す。日本代表が岡田監督に率いられ、同世代の盟友である闘莉王が守備の中心として決勝トーナメント進出を果たした10年南アフリカ・ワールドカップを例に出して語った。

「なぜ南アフリカの日本代表がうまくいったかは、トゥー(闘莉王)もそうだったけど、自分たちの立場や実力を受け入れて、チームで戦うんだということを徹底して団結したからだと思う。初戦で戦ったナイジェリアを見ても、個人能力で秀でている部分があった。日本の良さはチームワークや団結力だし、それを出すには気持ちの部分が必要。初戦のことがあるので悪いイメージはあるはずだけど、いかにポジティブに持っていけるかが次の試合では大事だと思う」

 それとともに、自身がキャプテンとして経験した思いを胸に、手倉森ジャパンのキャプテンとしてプレーしている浦和のチームメート遠藤航に対しても、気遣う言葉を並べた。

「キャプテンということで、どうしても初戦を勝てないといろいろ考えてしまうと思うんですよ。ただ、あの大会は選ばれた者しか出られないし、年代も決まっている。日の丸を背負うのも簡単なことではない。だからこそ、楽しんでほしい。日の丸ということを一度置いて、シンプルにピッチで頑張る、楽しむ、勝つということだけをやってほしい。それは、僕が経験したことです。まだ、次に勝てば可能性がありますから。こういう状況だからこそ、これをチャンスだと捉えてほしい。一人ではなく、みんなで良い雰囲気を作ってほしい」

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最終更新:8/7(日) 20:47

Football ZONE web

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