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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が描く未来のほろ苦さーー森直人が“80年代SF映画”を振り返る

リアルサウンド 8/8(月) 15:57配信

 「エンタメ大作の黄金期」である80年代洋画の魅力を多角的な視点から読み解いたムック『私たちが愛した80年代洋画』(辰巳出版)が、8月9日に発売される。リアルサウンド映画部にて編集を担当した同書には、大根仁、武田梨奈、松江哲明の撮り下ろしインタビューのほか、今祥枝、牛津厚信、宇野維正、小野寺系、久保田和馬、さやわか、藤本洋輔、松井一生、松崎健夫、麦倉正樹、森直人ら、レギュラー執筆陣による書き下ろしコラムやレビューを多数掲載し、いまだからこそ見いだせる80年代洋画の価値にスポットを当てている。

 発売に先駆けて、リアルサウンド映画部ではコンテンツの一部を抜粋して掲載。今回は、森直人による『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を軸とした80年代SF・ファンタジー論を紹介する。(編集部)

■『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が描いた未来像はいま

 昨年(2015年)は、1985年に公開されたロバート・ゼメキス監督、スティーヴン・スピルバーグ総指揮のSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』30周年。日本でも関連イベントが催されたり、公式カフェがオープンしたりと、アラフォー男(筆者もそのひとり)を中心にオーバーヒートなお祭り騒ぎの様相を呈した。しかもファンならご存じ、実は“2015年=30周年”には二重の意味があり、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』(89年)では第一作の“現在”である85年から30年後の未来へとタイムトラベルする。つまり2015年(日付は10月21日)は、同作が描いた「フューチャー」が現実にやってきたアニバーサリーだったわけだ。

 その事に絡めて、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の未来予想図はどれくらい実現しているか? と、いまの我々の生活環境と比較してみた人はかなり多いと思う。タイムマシンはもちろん実現していないし、空飛ぶ車やホバーボードも見当たらない。だが携帯電話やインターネットの普及など、実際の現実のほうが先に行った部分もある。つまり単純な答え合わせとしては“プラス・マイナス・ゼロ”的な、すごく当たり前の結果になったと言えるだろう。

 しかし筆者は、映画が夢想した2015年との落差を決定的に痛感している点がひとつある。それは“気分”だ。乗用車を改造したタイムマシン、デロリアンに乗った主人公の高校生マーティ(マイケル・J・フォックス)と共に、スクリーンに広がる30年後の未来社会を目にした時のワクワクする幸福感。『ドラえもん』のひみつ道具ではないが、そこには健全な進歩史観が機能していた時代のピュアな高揚がしっかり刻まれている。

 現在のSF・ファンタジー映画で、こういう楽天的な世界像が描かれることは皆無に近い。地球が全滅の危機に陥ったり、正体不明の敵に攻撃されたり、厳格な管理社会で少年少女がサバイバルを余儀なくされたりと、お先真っ暗の未来像を描いたキナ臭いSF大作がハリウッドの主流だからだ。特に2001年の“9.11”以降は、自明であったはずの正義の所在に苦悩する――『ダークナイト』(08年/監督:クリストファー・ノーラン)などシリアス路線のヒーロー物がアメリカを覆う“気分”の象徴だろう。

 ちなみに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は周知の通り三部作で、第一作の時間旅行は1955年。当時のアメリカは安定重視政策のアイゼンハワー時代であり、幸福な家庭生活を描くテレビドラマ『アイ・ラブ・ルーシー』が流行し、ディズニーランドも開園。一方でロックンロールなど若者たちの対抗文化が立ち上がっていったポップカルチャーの黎明期でもあった。また人種差別の解消を求めた公民権運動の前夜でもあり、第一作の劇中でも、のちに市長になるアフリカ系店員の少年のエピソードとして繊細に触れられている。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(90年/『PART2』と立て続けに製作された)で旅するのは1885年の西部開拓時代。つまりこの三部作は、(たくさんの矛盾や問題を抱えながらも)アメリカが前向きだった時代を選んで構成している。だから、きっと2015年もそうなる、と当時は予想されていたってことではないか。

 ちなみに1960年代から1970年代は、ヴェトナム戦争の泥沼化と連動するようにニュー・シネマが台頭し、“病んだアメリカ”を抉り出す映画群が中核となった時期。SFも『猿の惑星』(68年/監督:フランクリン・J・シャフナー)などネガティヴな未来像の衝撃作が多数生まれた。実際の2015年そして現在は、こちらの暗黒が慢性化して抜け出せる気配が見つからないという感じだ。

 いや、ちょっと待て――と、ここでツッコミを入れる読者がいるかもしれない。80年代にも『ブレードランナー』(82年/監督:リドリー・スコット)や『未来世紀ブラジル』(85年/監督:テリー・ギリアム)といったディストピア志向の名作があったではないか、と。

 もちろん現在では、それらは偉大なクラシックとして広く認知されているが、しかし公開当時の扱いは完全にカルトムービーであった。結果的に大ヒットになった『ターミネーター』(84年/監督・ジェームズ・キャメロン)ですら、当初は低予算のB級映画として製作されたのだ。あくまでも“クラスの人気者”的なメインストリームは、少年と宇宙人の交流をイノセンスたっぷりに描く『E.T.』(82年/監督:スティーヴン・スピルバーグ)であり、ジョージ・ルーカスが自らの箱庭としての宇宙活劇を展開させた『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(80年/監督:アーヴィン・カーシュナー)や『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(83年/監督:リチャード・マーカンド)あたり。ヨーロッパからやってきた世界的ヒット作(“転校生”みたいな?)だと『ネバーエンディング・ストーリー』(84年/監督:ウォルフガング・ペーターゼン)とか。そのカウンターのポジションに、前述した“ひねくれ者”たちが居たというのがリアルタイムの見取り図である。

 ……とはいえ、倒錯した物言いになるのをお許しいただきたいが、『ブレードランナー』などに加え、『ロボコップ』(87年/監督:ポール・ヴァーホーヴェン)や『ゼイリブ』(88年/監督:ジョン・カーペンター)といった当時の傑出した“ひねくれ者”のタイトルを書き出していくと、いずれもハードな内容の映画にもかかわらず、やはり筆者の心は「ワクワクする幸福感」に包まれてくるのだ。う~ん、これは単なるノスタルジーってだけの話でもない。

 そこでもうひとつ、映像技術の問題を重ねてみたい。SF・ファンタジー映画にはVFX(視覚効果)という要素が切り離せないが、80年代はCGがハリウッドを席捲する前の時代――すなわち「特撮」の最後のディケイドでもあった。

 最初にCGを本格導入した長編劇映画としては『トロン』(82年/監督:スティーヴン・リズバーガー)や『スター・ファイター』(84年/監督:ニック・キャッスル)がよく知られているが、真にエポックと呼べるのはデジタル技術と実写の非常に洗練された融合を見せた『ターミネーター2』(91年/監督:ジェームズ・キャメロン)や、CGの恐竜群を本物のような生々しさで動かしてしまった『ジュラシック・パーク』(93年/監督:スティーヴン・スピルバーグ)あたりである。この二作を映画館で目の当たりにした時、東大阪在住のヒマな学生だった筆者はひどく驚嘆し、心の中でこう激しくシャウトしたものだ。「こりゃもう、なんでも映画に出来てまうがな!」(関西弁)。

 そう、CGとは、映像的な万能感を目指す技術である。実写をアニメーションのようにポストプロダクションで操作可能にした時、「特撮」では到達できなかったレベルの飛躍的な映像が実現される。しかし問題は、進化と同時に感覚の麻痺が起こることだ。確かに3Dで体感的な宇宙空間を創り出した『ゼロ・グラビティ』(13年/監督:アルフォンソ・キュアロン)は画期的な傑作だが、ここまで更新してしまうと、もう先がない。それでも現在の映画人たちは“あえてアナログに戻る”とか、進化と退化のバランスを探りながら映画の快楽を懸命に追究して、素晴らしい成果を挙げてはいるのだが……。

 翻ると、要するに「先がいっぱいある」と素直に信じることができたのが、80年代SF・ファンタジー映画の「ワクワクする幸福感」の源泉なのである。『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の劇中には「カフェ80’s」という、マイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」が流れる懐古趣味のお店が登場する。現在の我々は、この映画の中の2015年の住民がレトロな80年代カルチャーを楽しむように、「特撮」で撮られた明るくポジティヴな未来像を懐かしむ。

 これは極めてアイロニカルな構図だ。形だけ改造されたデロリアンに乗っても、決して当時には戻れない。筆者は80年代のSF・ファンタジー映画を観ると甘酸っぱい気分になるが、よく噛み締めるとそれは苦味に変わり、ビタースウィートな後味を舌で転がしながら、いまの世の中や映画をめぐる風景を見つめてしまうのである。

森直人

最終更新:8/8(月) 15:57

リアルサウンド

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