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韓国にもあったの? 「総合商社」を輸出拡大に活用

JBpress 8/8(月) 6:10配信

 「輸出立国」である韓国が、輸出不振の長期化にあえいでいる。政府は、輸出拡大に向けた本格的な対策作りに動き出した。そんな中で出てきたのが、「総合商社」の活用だ。だが、そもそも韓国にも総合商社があったのか? 

 2016年7月26日、韓国政府は官民共同の「輸出投資拡大会議」を開いた。民間企業の幅広い意見を聞いて、輸出拡大対策を作ろうという狙いだ。

■ 「マイナス輸出」に救援登板

 「総合商社‘マイナス輸出’に救援登板」

 7月27日付の「中央日報」は、こんな見出しの記事を1面トップに掲げ、この日の会議の成果を伝えた。

 いったいどんな方針が出たのか。

 いろいろな輸出拡大策が議論されたが、その中でも最も注目を集めたのが、「商社」の活用だった。商社を活用して、特に韓国の中小・中堅企業などの製品の輸出拡大をはかろうという内容だ。

 具体策はこれから詰めるが、だいたいの方向がこの日の会議で出た。

 まず、政府が、「総合商社」「中堅貿易商社」「中小貿易商社」を指定する。最も期待するのが、「総合商社」だ。総合商社が中小・中堅企業の製品を輸出する場合、貿易保険の料率を下げる。

 カントリーリスクが高い国・地域向けの輸出についても貿易保険で優遇策をつける。また、韓国輸出入銀行の「輸出促進基金」を活用した金融支援も具体化させる。

 貿易保険と金融支援を柱に「総合商社」に海外市場を積極的に活用してもらおうという狙いだ。政府の産業支援策としてはお決まりのパターンだが、ここで疑問が生じる。

■ 韓国の総合商社とは? 

 そもそも、韓国の総合商社とはどの会社なのか? 

 確かにある。それどころか、1970年代、80年代に韓国の企業が海外市場に果敢に打って出たとき、その先兵を務めたのが「総合商社」だった。

 どんな会社なのか。サムスン物産、現代総合商事、大宇・・・主な財閥はほとんどが傘下に総合商社を抱えていた。

 政府も積極的に総合商社を支援した。1975年に、総合商社の指定制度を導入した。輸出実績や資本金。輸出品目などを勘案して政府が「総合商社」を指定した。1978年からは「韓国の輸出額の2%以上を手がける」ことが指定の条件になった。

■ 税制、金融面で支援

 「総合商社」になると、50万ドル以上の国際入札で政府の各種支援が受けられた。また、輸出入の営業税(付加価値税と所得税)のうち3.5%を免除した。こうした優遇策で官民一体で輸出を振興した。

 1980年代まで、韓国海外旅行も自由化していなかった。国内は軍事政権の名残も強く、若者の間では「総合商社」への憧れは強かった。給与水準もよく、人気企業だったのだ。

 このあたりは日本と同じだ。韓国の総合商社は、日本の総合商社を手本にして、「何でも売る」をモットーに世界中に戦線を拡大して行った。

 ところが、このあとの軌跡も日本と同じだった。

 総合商社のビジネスモデルが、「トレード」だった。モノを動かし手数料を取る。せいぜい、ここに商社金融を介在させて付加価値を高めるくらいだった。

 取引先企業のグローバル化か進むと、「総合商社の役割」が次第に低下するのは自然の成り行きだった。

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最終更新:8/8(月) 6:10

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