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癌に冒されながら医療改革に奔走した元ミス日本

JBpress 8/8(月) 6:15配信

 7月30日、私どもの研究所の一員である吉野ゆりえさんが亡くなった。享年48才だった。

 吉野さんは多才な人だった。筑波大学国際関係学類在学中に「ミス日本」に選出された。また、社交(競技)ダンスのプロとしてデビューした。

 瞬く間に日本のトッププロとなり、活動の場を英国に移した。英国では「ブラックプールダンスフェスティバル」にも出場し、活躍する。

 当時、日本テレビで放映された「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の「芸能人社交ダンス部」のコーチも務めた「人気者」だった。その後、2002年に現役を引退し、後進の指導に従事する。

■ 前途洋々に見えたその時・・・

 前途洋々に見えた吉野さんに不幸が襲ったのは2005年のことだった。出張先で腹痛を自覚。紆余曲折の末、サルコーマ(平滑筋肉腫)と診断された。5年生存率が7%とされる予後不良の悪性腫瘍だ。

 いくつかの病院を経由し、国立がんセンター中央病院で治療を受けることになった。

 サルコーマは稀な癌だ。専門医はいない。患者は、どの病院を受診したらいいか分からない。吉野さんも、国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院の専門医と知り合うまで、苦労したようだ。

 彼女は闘病生活の傍ら、サルコーマの治療センターを作ろうと決心した。そして、2008年9月に、自らが代表を務める「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」を立ち上げた。

 吉野さんの活動は、私も知っていた。ただ、私は、彼女の活動を冷めた目で見ていた。なぜなら、彼女は美しく、あまりにも有名だからだ。周囲が放っておかない。

 事実、彼女は、多くの学会やシンポジウムに呼ばれていた。この手のイベントの多くは中味がない。政府に「提言」して終わる場合が多い。

 本気で「サルコーマセンター」を立ち上げるなら、中核となる医師と、その応援団が必要だ。私の知る限り、サルコーマに人生をかけようという医師はいない。

 なぜなら、サルコーマは稀な癌だからだ。わが国の患者数は約3000人に過ぎない。ちなみに、毎年約100万人が癌を発症し、約40万人が亡くなる。サルコーマの専門医だけでは食べていけない。

 この状況は病院経営者にとっても同じだ。サルコーマ専属の医師や看護師を配備し、専用の外来や病室を作れば、大赤字を出してしまう。これがサルコーマの患者が「見捨てられてきた(吉野さん談)」理由だ。

 私が、吉野さんと初めてお会いしたのは、2009年3月の国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院での講演会だった。名刺交換をして、軽く挨拶を交わして別れた。このとき、まさか7年にわたり、一緒に活動するとは予想しなかった。

■ ずば抜けた行動力の持ち主

 吉野さんの行動は迅速だった。翌10日には、面談を希望するメールが来た。そして、15日に私の研究室でお会いすることとなった。

 彼女とじっくりと話し、ずば抜けた行動力があることが分かった。彼女の相談に乗り、こちらが対応策を提案すると、必ず「是非、お願いします。やらせてください」と返事が返ってきた。そして、「協力してくれそうな人は誰でもいいので紹介してください」と頼まれた。

 大学時代に在籍した剣道部の先輩に国松孝次氏(元警察庁長官)がいる。彼は、「覚悟のない連中が何人集まっても、物事は進まない。たった1人でいい。本気でやる人がいれば、ことは半ばなったようなものだ」と繰り返し教えてくれた。

 吉野さんは「本気」だった。私は、本気で「サルコーマセンター」を立ち上げようとする医師がいるとは思えなかったが、「吉野さんならやり遂げるかもしれない」と感じた。

 私は数人の知人を紹介した。最初は、土屋了介・国立がんセンター中央病院院長(現神奈川県病院機構理事長)だった。

 土屋氏は有名なので、改めてご説明する必要もないだろう。私は、2001~2005年に国立がんセンター中央病院に在籍した。それ以来、ご指導頂いている。

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最終更新:8/8(月) 12:45

JBpress

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