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「再クーデター」の可能性も? 30年以上前に「先祖返り」したタイ憲政

新潮社 フォーサイト 8/10(水) 16:19配信

 8月7日、タイでは、2014年5月に決行されたインラック政権打倒のためのクーデターによって停止された憲法に代わる新憲法草案の是非を問う国民投票が実施され、賛成61.4%(反対は38.6%)、「軍政から民政への移行期間」を5年間と設定する付帯事項が賛成58.11%(反対は41.89%)という結果をえたことで、新憲法実施の後、1年後に予定される総選挙を経て民政移管へと動き出すこととなった。なお投票率は54.6%だった。


■一掃できなかったタクシン支持派

 これまでタイでは、国軍によるクーデター(憲法停止・国会解散)→国軍中心の暫定政権→新憲法制定→総選挙→民政移管、という過程を経ての政権交代が常態化してきた。これまでクーデターから1年前後での新政権発足が一般例であった。であればこそ、来年8月の総選挙となれば、クーデターから新政権発足まで3年以上を経ることとなり、異例なまでの長時間ということになる。

 かくも長い時間を必要とした最大の要因は、直接的には2014年5月のクーデターにあるが、その遠因は2000年初頭のタクシン元首相の登場にあった。1980年代末からはじまったタイの経済成長を背景に政界進出を果たした実業家のタクシンは、通信・情報という全く新しい産業分野出身であるだけに、それまでのABCM複合体(王室・官界・財界・国軍)によるタイの権力構造に風穴を開け、企業におけるCEO(最高経営責任者)的権限を首相に集中することで、タイの経済・社会構造の変革をめざした。

 タクシンが旧来の政治家と違った点は、企業活動で蓄えた豊富な資産を自らの政治資金に転用することで多くの政治家を自らの政党に誘って下院多数派を形成すると同時に、一方では従来のABCM複合体による政治では恩恵に与ることが少なかった東北タイを中心とする貧しい農民の心を掴んだことだ。

 かくてタクシンは、2001年の首相就任から2006年9月のクーデターで退陣するまで、少数政党による連合政権が一般的であったタイにおいては、異例ともいえる下院過半数を占めた超安定政権を維持していた。一方、タクシン政権の出現で既得権益を侵されることに危機感を抱いたABCM複合体は、2006年9月に不正・汚職構造を理由にタクシン政権打倒のクーデターを決行した後、タクシンの政界内外に対する個人的影響力を殺ぐとともに、タクシン支持派が下院多数派を占めることを阻止することを狙った新憲法を2007年8月に公布。そして2007年12月以降、より“民主化”された新憲法による総選挙を何回か実施するが、タクシン支持派がいずれも下院多数を占め、タクシンのダミーともいえる政権が続いた。

 かくて国軍は2014年5月、プラユット陸軍司令官(当時)を指導者とするクーデターを決行。タクシン実妹のインラック首相率いる政権を追放し、プラユット陸軍大将を首班とする現暫定政権を発足させ、現在に到っているわけだ。


■現役軍人の首相就任あるか

 現政権下、慣例に従って新憲法が検討され、2015年9月、草案は制憲議会に提出されたものの否決されてしまった。今回の国民投票に付された草案は、否決された前草案に手を加えたものだ。

 今回の最終草案の骨子は、(1)「軍政から民政への移行期間」を暫定的に設定し、軍事政権による実質的な上院支配を認めている。(2)具体的には上院250人中の244人を軍事政権指名の委員による委員会が選任。(3)残りの6人は国軍最高司令官、陸・海・空の3司令官、国防次官、警察長官に割り当てる。(4)首相は下院議員から選出可能。(5)首班指名選挙には上院議員も参加、である。つまり、軍の意向に沿った上院議員が首相を選べるわけで、これは言い換えるなら、事実上、現役軍人の首相就任を保障するということ。興味深い点は、「残りの6人」に国防大臣が加わっていないということだ。現役軍人の首相就任が可能なら、大臣就任もなた同様に保障されているはず。ということは、国防大臣は現役軍人が押さえる可能性が高いことになる。

 かつてクーデターが頻発していた1980年代初頭まで、憲法草案審議過程での最大の争点は、現役軍人の大臣就任を許すか否かにあった。首相は国防大臣への、国防大臣は陸軍司令官への人事権を持つゆえに、当然ながらタイ最強の実働部隊を押さえる陸軍司令官は首相の指揮下に置かれていた。だが、陸軍司令官は首相に退陣を逼(せま)るクーデターを決行する実力を保持する。であればこそ、首相=国防大臣=陸軍司令官が同一人物、あるいは国軍内同一派閥に属していることで、安定的な政権維持が可能だったわけだ。

 たとえば1980年から88年まで異例の長期政権となったプレム政権もまた、発足当初は“超安定構造”であった。もちろん首相選任・予算など重要法案議決に関しては、下院の3分の2を定員とする勅選(といっても実質的にはクーデターを成功させた軍事政権が指名)の上院議員にも下院議員同等の権限が与えられていた。そもそも重要法案審議は、上下両院合同で行われていたのである。


■タイの“孤立化”も!?

 このように振り返ってみると、今回の国民投票で承認された新憲法が、1980年代まで行われていた旧憲法に酷似していることがわかるだろう。極論するなら、タイの憲政は30数年ほどの昔に先祖返りしたとも言えるわけだ。振り返るなら、2005年の年末にバンコクの一角で起こった反タクシン街頭行動をキッカケに、歴代憲法が「国王を戴く民主主義」と謳ってきた「タイの民主主義」を争点として、10余年にわたってタイ国内を2分して激しく争われてきたタクシン対反タクシンの戦いの帰結が、タイ政治における国軍万能時代への回帰では、あまりにも悲しい。これを民主化のパラドックスと表現するには、あまりにも漫画的に過ぎる。

 たしかに新憲法は様々な問題を孕んではいる。だが常識的に考えれば、来るべき総選挙を経て民政移管された後の政権が、現プラユット政権そのもの、あるいは現政権に近いものになる可能性は高い。かりにそうなった場合、国軍内の反プラユット勢力、あるいは冷や飯組によるクーデターの可能性は否定できそうにない。それは第2次世界大戦後のタイ政治史(というより権力闘争史)を振り返り、国軍に多くの政治的権能が集中していたからこそ、国軍内の派閥抗争がクーデターを招き寄せ、不安定な政治状況を醸成した事実を思い起こせば、容易に指摘できる。

 またタクシン支持を表明し続けて来た農民層が、国軍中心の政治(とりもなおさずABCM複合体優先の政治)に異議を唱え、再び街頭行動に打って出ることも考えられる。いずれにせよ、「軍政から民政への移行期間」が安定するという保障はなさそうだ。

 また現政権の“非民主的体質”を嫌い、アメリカなどが新政権への非協力的対応を示す可能性も考えられる。南下が至上命題とも言える中国にとって、東南アジア大陸部の中央に位置するタイの地政学的立場を考えるなら、タイの“孤立化”は願ってもない事態となるだろう。いわば近い将来、タイにタンシュエ独裁時代のミャンマーが再現される可能性も考えられるのだ。


■国王、枢密院議長の高齢化

 いずれにせよ、これからのタイは新憲法のもとで再出発することになるが、「軍政から民政への移行期間」の5年間を考える際、次の点に留意しておくべきだろう。



(1)1980年代末以来、タイ政治の混乱期に国民和解を促してきた国王(1927年~)の高齢化と体調不良

(2)国王の信頼と国軍に対する強い影響力を背景に、政治的混乱の収拾に指導力を発揮してきたプレム枢密院議長(1920年~)の高齢化

(3)新国王誕生に伴う王族の立ち位置の変化



 いわばタイは、「軍政から民政への移行期間」に、様々な困難に直面する可能性が大だ。であればこそ、我が国としても、考えられない事態までも想定してタイに向き合うことが肝要だろう。少なくとも親日国とか、これまでの長い経済関係とか、同じく皇室・王室を戴く文化で共通するとかいった安易な視点でタイを捉えることだけは止めなければならない。

愛知大学・樋泉克夫教授

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最終更新:8/10(水) 16:19

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