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日本代表と4-4-2の「ゾーンプレス」。強豪には善戦も、アジアで苦戦した加茂監督時代【西部の4-4-2戦術アナライズ】

フットボールチャンネル 8/10(水) 10:20配信

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、日本代表がミランで勃興した4-4-2による「ゾーンディフェンス」+「プレッシング」の戦術を取り入れていた時期がある。加茂周監督が導入したサッカーを改めて振り返る。(文:西部謙司)

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一貫性を欠いていた日本代表監督選び

 日本サッカー協会の代表監督選びには、ある特徴があった。新監督を選んだ理由として、前任者に足りなかった部分を補う人物だと説明していたのだ。

 ハンス・オフトを招聘したときは「選手もプロになっているので、監督もプロでなければダメ。外国人しかない」だった。次のパウロ・ロベルト・ファルカンは「修羅場をくぐった人」として迎えられている。最終予選でオフトがナーバスになっている姿を見ていたからだという。

 そして、6ヶ月で事実上解任されたファルカンに代わった加茂周監督の就任は「コミュニケーションのとれる人」だった。ファルカン監督は周囲とのコミュニケーションに問題があると思っていたからだ。しかし、このときにはオフトを監督に据えたときの「外国人」は忘れられている。

 さらに岡田武史監督を挟んで、フィリップ・トルシエ監督のときは「世界を知る監督」と紹介されたが、「コミュニケーション」はどこかへ行ってしまった。さらに、ジーコとイビチャ・オシムを経て岡田監督を再任させているが、その時点で「世界を知る監督」だったかといえば怪しい。

 一連の“川淵(三郎)人事”では、前任者の弱点を補う形で後任が発表されるのだが、その次になると2人前の問題点は忘れられるのがパターンだった。監督就任発表の説明は見事なぐらい一貫性を欠いていたのだが、偶然かもしれないが強化方針には意外と継続性があった。ファルカン→加茂もそうだった。

加茂監督が掲げた「ゾーンプレス」

 加茂監督は日産(現在の横浜Fマリノス)を常勝チームに育て上げて名をあげ、横浜フリューゲルスの監督時には「ゾーンプレス」を掲げて93年の天皇杯に優勝。日本人としては最も経験豊富で実績のあるプロ監督だった。

 日産のときは木村和司、金田喜稔、水沼貴史、アデマール・マリーニョ、柱谷幸一といった個人技に優れた選手を集めた技巧的なプレースタイルだったが、横浜フリューゲルスではヨーロッパのプレッシング戦法を採り入れていた組織戦術で、南米風のヴェルディ川崎、横浜マリノスに対抗しようとしていた。

 日本代表監督としては、横浜フリューゲルス時代の「ゾーンプレス」導入を図っている。プレッシング+ショートカウンターを軸とする戦術は前任者のファルカンと同じと言っていい。ただ、日本のクラブにプレッシングを導入した経験がある加茂は、ファルカンの轍を踏まなかった。ファルカンの理想はまったく実現されず理解もされていなかったが、加茂の指導は当時の選手たちには「わかりやすかった」という。

 ただ、その「わかりやすさ」が最終的にアダになったかもしれない。

 ゾーナル・プレッシングをわかりやすく「ゾーンプレス」という和製英語で広めた加茂監督も、当初は見よう見まねだった。横浜フリューゲルス時代にズデンコ・ベルデニックをコーチに招き、プレッシングのノウハウを吸収している。

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最終更新:8/10(水) 10:22

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