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ベトナム戦争に見る共産党の“連合”戦略の裏側

JBpress 8/10(水) 6:10配信

 日本共産党と他の野党との連携が一段とクローズアップされてきた。2016年7月の参議院選挙では野党連合は成功を果たせなかったが、共産党はここに来て他の政治勢力との共闘をさらに強めようとしている。

 だが、今なお共産党は「科学的社会主義」の名の下にマルクス・レーニン主義(共産主義)への信奉を主体とする革命政党の本質を変えてはいない。

 日本共産党は政権獲得への方法として、「民主主義革命」とともに、他の非共産主義政党との「民主連合政府」「国民連合政府」「統一戦線」などの結成を打ち出している。真の目標の達成のためには、政治理念を異にする政治勢力とも手を結ぶという戦略である。

■ ベトナム戦争を想起させる日本共産党の戦略

 この方法は世界の共産主義の系譜にも前例が見られる。近年の事例として真っ先に思い出されるのはベトナム共産党であろう。ベトナム共産党は、共産主義革命の達成、そして政権の全面獲得のために非共産の政治勢力をフルに利用するという戦略を実行して、歴史的な大成果をあげた。

 ベトナム共産党は、フランスや米国、そして米国に支援されたベトナム共和国(旧南ベトナム)を相手に戦い勝利した。この30年にわたったベトナム戦争で、ベトナム共産党は「共産主義」や「革命」を隠し続け、他の勢力との連携を強めた。

 私は、ベトナム共産党が主導した戦争の終結と革命の始まりを現地で目撃した。その4年近くの間に、共産主義勢力が他の政治勢力に持ちかける「連合」や「統一」の意味を痛烈に学ばされた。だから今の日本で、共産党主導の「連合」や「統一」という用語を聞くたびに、ベトナムの事例を想起させられるのである。

 もちろん20世紀のベトナムと21世紀の日本では、政治状況が大きく異なる。とはいえ「共産主義の教義」自体は当時も今も変わらない。そこで以下では、私のベトナム戦争での体験を報告してみたい。日本の現役ジャーナリストの中でベトナム報道体験を有する人間がきわめて少なくなったことも、ここで書き記しておきたいと考えた理由である。

■ 南ベトナム民族解放戦線を操っていた共産党

 私たちが一般に「ベトナム戦争」と呼ぶのは、米国が正規に介入した1965年から1975年までの戦争である。それ以前の1946年から1954年までの、共産党主体のベトナム民族独立勢力が植民地支配側のフランス軍と戦った闘争を「第1次ベトナム戦争」と呼ぶことも多い。その場合、1965年からの戦争は「第2次ベトナム戦争」という呼称になるわけだが、米国が関与したこちらの戦争を単に「ベトナム戦争」と呼ぶのが現在では一般的となった。

 そのベトナム戦争は南ベトナムが主戦場だった。ベトナムは北部の「ベトナム民主共和国」(北ベトナム)と南部の「ベトナム共和国」(南ベトナム)という2つの国家に分断されていた。北ベトナムは、マルクス・レーニン主義を信奉するベトナム共産党(当時の正式名称は「ベトナム労働党」)の一党独裁支配だった。

 ベトナム戦争を主導し、最初から最後まで背後で主役を務めたのが、このベトナム共産党だった。戦争終結後に、ベトナム共産党は自らその真相を明らかにしたが、外部世界の多くは真実を知らなかった(ただし南ベトナム政権や米国当局はその実態を戦争中から知っていた)。

 ベトナム共産党は姿を現さずに南ベトナムを攻撃し、揺さぶりをかけた。南ベトナムでは1960年に「南ベトナム民族解放戦線」(NLF)が結成された。南ベトナム内部の民族独立を目指す各勢力が政治思想を問わず大同団結し、米国に支援された南ベトナム政府に闘いを挑む民族運動組織だとされた。実際にはNLFはベトナム共産党の直轄の指揮下にあったのだが、その事実は隠されていた。北ベトナムは「南ベトナムでの闘争に、北ベトナムは直接は参加していない」と宣言した。

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最終更新:8/10(水) 10:25

JBpress

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