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『HiGH&LOW THE MOVIE』混沌とした物語の高揚ーー“主役不在の超群像劇”はなぜ求められた?

リアルサウンド 8/12(金) 15:25配信

 『HiGH&LOW』はLDHの代表取締役社長で、元EXILEリーダーのHIROが総合プロデュースを務める世界初の総合エンタテイメントプロジェクトだ。EXILE TRIBEを中心に、多数の俳優やミュージシャンが参加しており、映像、音楽、SNS、ファッションなど、様々なメディアで多角的に展開されている。そして、先日まで放送されていたテレビシリーズを受ける形で、7月に公開されたのが今回の映画『HiGH&LOW THE MOVIE』だ。まずビジュアルとアクションの豪華さが目を引く。漫画やアニメに出てくるような無国籍なビジュアルの中で、600人の男たちが入り乱れて殴り合う物語終盤のアクションシーンは圧倒的で、ここだけでも見ておいて損はないだろう。

 一方、肝心の物語となると、一見しただけでは何をやっているのかわからないので見ていて戸惑うところが多い。細かい設定がたくさんあるのだが、とにかく個性的なチームが登場して抗争を繰り広げているということ以上の情報がうまく処理できないのだ。ただ、この上手く処理できない感覚を欠点と言うのは、どうにもためらうものがある。むしろ、目の前を処理できない膨大な情報が束となって通り過ぎていく瞬間に感じる高揚感のようなものこそが他の映画やドラマにはない『HiGH&LOW』が持つ最大の長所ではないだろうか。

 一応、あらすじについて触れておこう。かつて、ある地域一帯を支配したムゲンというギャング・チームがいて、雨宮兄弟と言われるバイクチームとしのぎを削っていた。しかし、ある事件をきっかけにムゲンは解散。その後、その地域では、山王連合会、White Rascals、鬼邪高校、RUDE BOYS、達磨一家という5つのチームが頭角を現すようになる。その地区はそれぞれのチームの頭文字をとってSWORD地区と呼ばれるようになり、チーム同士で激しい抗争を繰り広げながら、危ういバランスを保っていた。

 今回の映画版では、ムゲンのリーダーだった琥珀(AKIRA)が登場し、彼を中心に物語は動いていく。琥珀はSWROD地区を支配するために、コリアンマフィアの張城と手を組んで、それぞれのチームを潰していく。なぜ琥珀は再び現れ、戦いを仕掛けてきたのか? かつての仲間たちが戸惑う中、SWROD地区全土を巻き込んで抗争は激化していく。

 『HiGH&LOW』では全員主人公と謳われているが、印象としては主役不在という方が適切だろう。あえて中心人物を一人上げるとすればAKIRAが演じる琥珀なのだが、彼の場合は主人公と言うよりは、すべての登場人物の前に立ちはだかる巨大な壁とでも言うべき存在だ。映画版がドラマシリーズと較べて少しだけ見やすいのは、琥珀の物語にすべてが集約されるからだ。ムゲンのリーダーでありながら、組織の暴走を止められずに、ムゲン解散後に生まれた無数のチームを制圧することで、ケリをつけようとする琥珀の姿は、EXILEやLDHをここまで拡大してきたHIROの苦悩が見え隠れし、ムゲン=EXILE、琥珀=HIROと捉えると、とたんに私小説めいてくる。

 ただ、これはあくまで、ムゲンというチームの栄光と挫折の物語として理解した場合の『HiGH&LOW』でしかない。実際に見ている時の印象は毎回バラバラで、個別のエピソードごとにフューチャーされるキャラクターはいるのだが、物語全体の中心となる主人公がいないため、一度観ただけでは誰が何をやっているのかさっぱりわからない。 

 もちろん、EXILEや三代目 J・Soul Brothersのメンバーや窪田正孝や林遣都といった俳優のファンにとっては、彼らの見せ場を追うだけでも充分楽しめるだろう。しかし、全体を俯瞰して見た時に、ここまで混沌とした誰にも焦点が当たっていない物語は前代未聞なのではないかと思う。こう書くと、ビジュアルとアクションは破格だが、物語としては失敗作だと言っているように聞こえるかもしれない。しかし、繰り返しになるが、そう言い切れないところが『HiGH&LOW』の面白いところだ。むしろ、既存の物語に忠実な琥珀のエピソードの方が冗長で、無数の男たちが蠢くことで生まれる躍動感にこそ、可能性を感じた。

 本作が、“主役不在の超群像劇”となったのは、それこそがEXILE TRIBEの本質だったからだろう。同時に、こういった物語が求められるのは、時代の要請ではないかとも感じた。大河ドラマの『真田丸』(NHK)や映画『シン・ゴジラ』など、今年ヒットしている物語作品は群像劇が多い。これは政治や組織の有り方について、じっくりと考えたいという観客の要望に応えているということもあるだろうが、SNSが可視化する複雑な人間関係を物語に落とし込んだ結果、必然的に生まれたものだとも言える。

 同じ大規模編成のグループアイドルAKB48は、それをフィクションではなくドキュメンタリーという形式で見せていたが、EXILEは虚構性の高い物語に落とし込むことで成立させた。これは、同じ大規模グループでもEXILEの方が、より作り込まれた表現をみせるパフォーマンス集団だったからだろう。10月には早くも続編映画が公開されるが、本作で開花した超群像劇がどこまで広がるのか楽しみである。

成馬零一

最終更新:8/12(金) 15:25

リアルサウンド