ここから本文です

今時の若者を小説で読もう!親世代にお勧めの5+5冊

本の話WEB 8/13(土) 12:00配信

 有名な都市伝説に「古代エジプトの古文書を解読したら、『今時の若者はけしからん』と書かれていた」──というものがある。どうやら柳田國男『木綿以前の事』(岩波文庫)で又聞きとして紹介された話が元らしいが、実際には現状を憂える文言や若者へのアドバイスはあっても、若者批判の史料はないのだそうだ。

 それなのにネタとして何度も使われるのは、「自分が言われて反発したことなのに、いつの間にか下の世代にも言っちゃうよねー」という苦笑まじりの実感が、誰にもあるからだろう。それはわかっているのだけれど、それでもやっぱり感じてしまう。今の子はわからん、自分たちの頃とは随分違う──と。

 夏休み、お盆休み、帰省などなど、我が子と過ごす時間が増えるこの季節だからこそ、「今時の若者」を小説で読んでみよう、と提案したい。小説はいつの時代も「今の若者」を描いてきた。なぜ「今の子はわからん」のか、本当に「自分たちの頃と違う」のか、ヒントがここにあるはずだ。中学生からロスジェネまでの世代を描いた5冊を紹介する。

 ◇ ◇

 辻村深月『オーダーメイド殺人クラブ』(集英社文庫)は、中学2年生の小林アンが主人公。アンはクラス内でも上位の「リア充」グループに属す美少女だが、微妙な友人関係や価値観の合わない母親など、学校でも家でも疲弊するばかり。そんなとき、クラスでも下層の少年・徳川に思わぬ「才能」を見たアンは、「自分を殺して欲しい」と頼んだ。ふたりは永遠に人に記憶されるような「特別な死」の計画を練り始める。

 美しい死や残虐なものへの憧れ。特別でありたい。自分が特別だと人に分からせたい。そんな思春期の心の揺れが奔流となって出口を探す。本書の中核にあるのは「中二病」と「スクールカースト」だ。そんな名前が与えられたばかりに、まるで現代特有の病理のように思われるが、思春期特有の肥大した自我を持て余すのもクラス内派閥も、いつの時代もあったこと。その真っ只中にいる彼らの懊悩を見て、身に覚えをまったく感じない大人はいないのではないか。

【比べて読みたい「あの頃の若者」小説】

山田詠美『ぼくは勉強ができない』(文春文庫)

 1993年に刊行されて以降、若者のバイブルとなった物語。勉強はできないがめっぽうモテる高校生を主人公に、「かっこよくある」とはどういうことかを軽やかな筆致で綴る青春小説の金字塔。

 ◇ ◇

 認められたい、はじかれたくないというメンタリティはいつの世でも普遍。変わるのは人ではなく社会制度の方だ。昭和とすっかり様変わりしたもののひとつが就活だろう。朝井リョウ『何者』(新潮文庫)は、就職活動に励む大学生たちの物語。エントリーシートにウェブテストと、昭和の就活組には馴染みのない言葉が並ぶ。今の就活ってこうなのか、と驚くこと請け合い。

『何者』の登場人物たちがその前の世代と明らかに違うのは、デジタルネイティブだということだ。物心ついたときから当たり前のようにネットがあった彼らは、ツイッターやFacebookを使いこなす。発信に長けているのが今の若者の最大の特徴かもしれない。だが『何者』では、それが「こう見られたい自分」と「本当の自分」の乖離につながっていく。自分は何者なのか、何者にならなれるのか。若者が悩むべくして悩む問題が、SNSというツールを通して浮き彫りになる様を味わっていただきたい。

【比べて読みたい「あの頃の若者」小説】

桐野夏生『抱く女』(新潮社)

 70年代、学生運動に乗り遅れ、ウーマンリブにも違和感を感じる女子大学生の彷徨の記録。当時の世相をリアルに描きながら、自分が何者かを探す若者の姿が活写されている。

 1994年から2004年という就職氷河期に世に出た若者たちを、「失われた10年」にかけて「ロスト・ジェネレーション」略してロスジェネ世代と呼ぶ。池井戸潤『ロスジェネの逆襲』(文春文庫)は、お馴染み半沢直樹シリーズ第3弾。子会社の証券会社に出向になった半沢の活躍を描いた作品だが、半沢の下につくのがロスジェネ世代の森山だ。

 半沢はシリーズ前作『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』(ともに文春文庫)のタイトル通り、バブル世代である。ロスジェネ世代とバブル世代の考え方の違いが、本書の大きなテーマだ。森山の思いや言葉にグサグサくるバブル世代・団塊の世代は多いはず。

「『泡』と形容されるほど、奇妙な時代を作り上げ、崩壊させたのは誰なのか?/その張本人は特定できないが、少なくとも森山たちの世代ではない。なのに、満足な就職もできずに、割を食っているのは自分たちなのだ」

「バブル世代は、自分を守ってくれるのは会社だと思い込んでいるかも知れない。/しかし、森山らロスジェネ世代にとって、自分を守ってくれるのは自分でしかあり得ない」

「バブル世代は余裕なんじゃないですか。(中略)チョー楽な就職をして、なんの特技もないのに一流企業で余裕ぶっこいてるというか」

 痛い痛い耳が痛い。そんな森山に半沢が何を語るかが本書の白眉。構図としてはバブル世代vs.ロスジェネ世代ということになっているが、真骨頂はそんな世代論の無意味さを説くくだりにある。その2世代だけではなく、すべての世代の人にも読んでほしい一冊だ。

【比べて読みたい「あの頃の若者」小説】

池井戸潤『オレたちバブル入行組』(文春文庫)

 80年代、就活は圧倒的な売り手市場、内定を出した学生は囲い込む。その結果入った銀行は生き馬の目を抜く世界だった。会社と人生がほぼイコールの男たちを描いて大ヒットした企業小説。

 ◇ ◇

 一方、入社したはいいが続けられないという若者も確実に存在する。津村記久子『ポトスライムの舟』(講談社文庫)の表題作の主人公は、就職氷河期に入社した会社でモラハラに遭い、働くのが怖くなってしまったという経験を持つ29歳の女性。また、同時収録の中編「十二月の窓辺」は、パワハラに追い詰められていく女性が主人公だ。

 かつて、会社や学校を辞めることは「脱落」であり、「負けるな」「戦え」と言われてきた。しかし今は「死んだり病んだりする前に逃げろ」と言われる時代になった。選択を間違ったと思ったら、やり直せばいいのだと。それは決して「脱落」ではない、むしろ前進だということが本書を読むとよくわかる。

 個人的なお勧めは、「十二月の窓辺」を先に読んで、それから表題作に移るという順序。パワハラで潰れかけた女性が新たな道を選んで終わる「十二月の窓辺」から、モラハラから少しずつ立ち直って薄給ながら居心地のいい職場で働く「ポトスライムの舟」へ、という流れだ。ふっと気持ちが楽になるだろう。自分の幸せは、自分で決めていいのだと。

【比べて読みたい「あの頃の若者」小説】

関英雄『小さい心の旅』(偕成社・絶版)

 大正時代、小学校を卒業して就職した主人公は、どんな仕事も長続きせず、職を転々としては脱走を繰り返す。大正から昭和初期の世相を描くとともに、幼いなりに社会への違和感を感じ続け、のちに童話作家となった著者の自伝的小説。

 ◇ ◇

 自分の幸せは自分で決める、というのは村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋)にも共通したテーマだ。幼い頃から周囲の考え方に馴染めず、常に周りから浮いていたヒロインは、学生時代に始めたコンビニのバイトで「私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った」と感じる。コンビニは彼女が初めて見つけた、心地よくいられる場所だった。

 しかしそのまま30代になってもコンビニのバイトを続けるヒロインを、周囲はおかしいと断じる。世間の考える「普通」に、ヒロインを押し込めようとする。本人が充足しているのに、それを周囲が認めないという、なんともおかしな構図がここにある。「普通」は「幸せ」より優先されるべきものなのだろうか?

【比べて読みたい「あの頃の若者」小説】

新井千裕『あおむけで走る馬』(中公文庫)

 図形にこだわるケイ。高いところに登りたがる弟。水にこだわる女。他人との距離をつかむのが下手な3人が、ぎこちなくも道を探す様子を透明感たっぷりに描く。97年刊の『逆さ馬のメリーゴーラウンド』を改訂。

 ◇ ◇

 人は、「時代が違う」と頭ではわかっていても、どうしても自分の経験を基準に考えてしまう。だから、自分たちにできたことがなぜ彼らにできないのかと半ば本気で首を捻る。その理由を知るのにこれらの小説はうってつけだ。

 だがどれも、「だから仕方ない」で終わっているわけではないことに注目。登場人物たちは試行錯誤しながらも、そんな時代を泳いでいる。これらはいずれも、同世代の作者からの、あるいは先輩から若者に向けての、エールなのだ。どれもラストは希望に満ちている。若者の未来もそうであってほしい。これからは、彼らの時代なのだから。

文:大矢 博子

最終更新:8/13(土) 12:00

本の話WEB

Yahoo!ニュースからのお知らせ