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聴力失った絶望乗り越え障害者と健常者の橋渡しに

Wedge 8/13(土) 12:20配信

 松森さんは、NHK・Eテレ「ワンポイント手話」などに出演。障害者政策委員会委員を務め、「井戸端手話の会」 を主宰するなど多方面で活躍するユニバーサルデザインアドバイザーです。著書に『星の音が聴こえますか(筑摩書房)』 『誰でも手話リンガル(明治書院)』『音のない世界と音のある世界をつなぐ―ユニバーサルデザインで世界をかえたい!(岩波ジュニア新書)』など多数。今回は手話通訳さんを介して対談が行われました。

 「障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド」の第4回は、ユニバーサルデザインアドバイザーの松森果林(まつもりかりん)さんをお迎えしました。

 「私の強みは聞こえる世界と聞こえない世界の両方を知っていることです」と穏やかに微笑む松森さんですが、小学4年生で右耳の聴力を失い、高校2年生で左耳の聴力を失いました。蛇口をひねっても水の音が聞こえない。楽しいはずの食卓を囲んでも家族の声が聞こえてこない。すべては音のない世界でした。

 「私が笑うことはもうないだろう」

 そして……。

親に心配かけぬため言えなかった障害

初瀬 まず松森さんの障害についてお伺いしたいのですが、ごく普通に生活していた女の子が聴力を失うまでの歩みをお聞かせ下さい。

松森 小学4年生のときでした。左耳を下にして寝たときに、隣の部屋の音が聞こえなかったんです。あれ、おかしいな? と思ったのですが、一晩寝たら治ると思っていました。

 私は4人兄弟の長女で、妹が生まれたばかりでしたから、親に心配をかけてはいけないと思ってそのことを伝えませんでした。友達と話すときは聞こえる側に回るようにすれば、なんとかやっていけましたし、このままでも大丈夫かなと思っていたのです。

 その後、小学5年生の健康診断で聴力の反応が遅いことがわかって、家庭訪問の際に先生から母親へ伝えられました。そこで初めて私の耳が聞こえていないことを親が知ったのです。

初瀬 小学4年生で知りながら、5年生まで言えずに胸にしまっていたということですね。10歳の子にはとても辛かったんじゃないかなと想像します。

松森 それからはいろいろな病院に行くことになるのですが、原因も治療法も分からず、たらい回しにされたあげく東京の病院まで毎週通うことになりました。

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最終更新:8/23(火) 17:04

Wedge

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北朝鮮からの脱出
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