ここから本文です

陰謀論と余裕の相関関係

Japan In-depth 8/14(日) 7:01配信

世界の全てはユダヤが仕切っていたり、電磁波によって私たちのほとんどの病気は説明できたり、または全てのメディアはCIAに仕切られていたりと、 陰謀論のネタには事欠かない。

もしかして本当に宇宙人が地球を支配しているのかもしれないが、私は今の所そう信じるに値する経験をしていないので、陰謀論を信じない立場から世の中を見ている。

陰謀論の反対の立場をとる人は、論理の飛躍を指摘する。数少ない出来事から、いきなり統合された陰謀論を展開することを指摘する。陰謀論を信じる人は傾向として反証されるデータを読むことが少なく、信じていることを強化する情報を好んで集める。

陰謀論を信じる性質は悪いことばかりではないと思う。成功するスポーツマンは往々にして、思い込みが強く、現状からあまりにも飛躍した夢を信じる。皆は信じなかったが自分だけは世界一になれると思った。誰に反対されても、自分のこの技術が一番だと思っていた。どう考えてもオリンピックから程遠く、確率的にもありえない状態で自分はやれると信じることは、冷静で分析的な人間にはとても難しい。

陰謀論は、個人として楽しめればいいが、自己の範囲を超えてしまうと急に問題になる。オウム真理教はある種の陰謀論によって、自らの正当性を感じさせ、教化を進めていった側面があると思う。陰謀論はそういう危うさがある。

陰謀論を信じる性質について考えてみると、思い込みの強さがあるように思う。双子の遺伝子に、信心深い遺伝子が存在するのかという考察がある。スポーツの現場の感覚からすると、あるような気もするが、早い段階の生育環境の影響のことをそう感じているだけかもしれない。いずれにしても、思い込みが強い人はいる。

ただ思い込みが強いからといって皆が陰謀論を信じるかというとそうではないと思う。私はこれに余裕のなさが加わると思う。余裕は余白であり、ある種の寛容さをその人の中に生み出す。何かを信じていたとしても信じていない人の意見に耳を傾ける余裕がある。何かを信じていたとしても、反対意見が書かれた書籍を読む余裕がある。その余白さえあれば全く妄信的に陰謀論を信じることはないと思う。

余裕は、同じ人間でも状態によって変化する。昔カルトに関するマーケティングの本を読んだことがあるが、例外なく相手が弱ったタイミングをねらうと書いてあった。寝不足状態だと特に説得が聞きやすいらしい。

人間は一旦自分が信じたものは否定しがたく、結果として自らの考えを後押しするものや、集団を選びがちになり、偏りが強化され、そのうちに陰謀論を信じた人達の塊ができる。矢継ぎ早に何かがやってくる時人は余裕を持てない。

ところで陰謀論を信じている人でも、こちらにそれを強要してこない人がいる。そういう人は往々にして、余裕があり、私はそう考えることにしているという言い方をする。私はそう考える、と真実はそうである、の間には相当な違いがある。私は余裕のあるなしの違いなのではないかと思っている。

(為末大HPより)

為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

最終更新:8/14(日) 7:01

Japan In-depth

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。