ここから本文です

『アナザー・サイド』でボブ・ディランが世代の代弁者を降りた訳

ローリングストーン日本版 8/14(日) 14:00配信

体制や社会を批判し続けてきたディランは、1964年に制作したアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』で自らの思いをぶつけた。

【写真あり】ボブ・ディラン、60年代未公開コレクションの写真集を出版

1964年6月のある日、フォークシンガーのランブリン・ジャック・エリオットはグリニッチ・ヴィレッジのフォークロア・センターの前にいた。そこへ一台の車が停まり、ヨーロッパ・ツアーから帰国したばかりのボブ・ディランが飛び出してきた。その姿を見た時エリオットは、それが彼の旧友であるとはわからず、ただ「ヒールの高い"スペイン革のブーツ"を履いた背の高い男が降りてきたな」としか思わなかった。その後エリオットは、その男がディランであることにようやく気づいた。「へい、乗れよ。レコーディングへ行くぞ」とディランはエリオットを車へ招き入れた。

エリオットは言われるがまま車に乗り込み、間もなく一行はミッドタウンにあるコロムビア・レコードのスタジオへ到着した。ディランは前年(1963年)の10月以降、1曲もレコーディングしていなかった。当時は1年に2-3枚のアルバムをリリースするのが通常のペースだった。そのため、ディランも時期的にニューアルバムの制作を迫られていた。エリオットは車に積んであったボジョレーワインを2-3本抱え、ディランの友人やスタッフたちの賑やかな輪に加わった。プロデューサーのトム・ウィルソンやジャーナリストのアル・アロノウィッツも、ジーンズ姿でサングラスをかけたディランが4枚目のアルバムを制作する様子を見守っていた。「今夜はきっといいモノができるぜ」とディランはウィルソンに請け合った。その直前、ディランは恋人だったスーズ・ロトロと破局している。いくつかの新曲は、1964年5月にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサート後に訪れたギリシャとパリでの休暇中に作られたが、それらの曲には当時の人生の転機が反映されている。アルバムには、陽気な曲調の『オール・アイ・リアリー・ウォント(原題:All I Really Want to Do)』、ほろ苦い『悲しきベイブ(原題:It Ain’t Me Babe)』や『Dのバラッド(原題:Ballad in Plain D)』、痛烈な『アイ・ドント・ビリーヴ・ユウ(原題:I Don’t Believe You [She Acts Like We Never Have Met])』などバラエティに富んだラブソングが並ぶ。

1/3ページ

最終更新:8/14(日) 14:00

ローリングストーン日本版

記事提供社からのご案内(外部サイト)

RollingStone 2017年WINTER

株式会社パワートゥザピープル

2017年WINTER
12月10日(土)発売

880円(税込)

特集:The Rolling Stones
約11年ぶりの新作インタヴュー
ONE OK ROCK
SUGIZO/TAKURO
浅井健一/西島隆弘 AAA

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。