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北海道に再び分県論~明治には札幌・函館・根室県 --- 八幡 和郎

アゴラ 8/15(月) 12:20配信

北海道を分割していくつかの県にしようという提案が自民党道議から出ている(※詳細は文末、図は北海道新聞サイトより(http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0303196.html))。北海道に札幌、根室、函館三権時代があったことは「消えた都道府県名の謎」 (イースト新書Q)(http://www.amazon.co.jp/dp/4781680208)で書いたばかりだが、意外に知られていない北海道成立にまつわる話を披露しておきたい。

そもそも、こういう提案が出ているのも、ご多分にもれず、北海道では道庁所在地である札幌の一人勝ちになっている事情がある。

函館は昭和になるまでは、札幌より人口が多かったのだ。明治終わりごろの人口ランキングでは、小樽は14位で函館が15位。札幌は18位だった。大正14年でも、函館9位、札幌13位、小樽16位で、札幌が道内最大都市になったのは、昭和15年の国勢調査からだ。

蝦夷地が日本の領土だと意識されていたことは「平家物語」などでも分かるが、稲作も明治以前にはほとんどされていなかったので、国とか郡も設置されていなかった。

江戸時代には、松前藩がアイヌを通じて間接支配するような体制だったが、いろいろ経緯ののち、日本海側は松前藩に、太平洋やオホーツク海側は直轄地として箱舘奉行所を設け、箱館を開港地として西洋式の五稜郭を建設した。

明治になると、松前・江差周辺を松前藩改め館藩(のちに県)にまかせ、残りを明治2年に開拓使の管轄とした。そして、明治4年に館県は青森県に移管されたが、翌年には開拓使の下に入った。

北海道という名前がつけられ、開拓使は、3年から4年まで樺太開拓使と北海道開拓使に分けられたこともあるが、それ以外の時期は単に「開拓使」といった。

明治15年には、開拓使は廃止され、根室、函館、札幌の3県に分割されましたが、そして、19年になって地方自治体としての「北海道」が成立した。

ただし、当時は北海道という自治体でなく、北海道庁といわれ、「府」「県」に相応するのは「庁」だった。

明治33年には本土の郡と県の中間にあたる支庁が置かれたが、市町村制の実施は大正11年のことで、札幌が区から市になったのは、大正11年のことだ。

北海道で最初に衆議院選挙が実施されたのは、第7回総選挙(明治35年(1901年)8月10日)で、札幌、函館、小樽の三選挙区がおかれ、三人が選ばれた。沖縄では明治45年である。朝鮮や台湾では、戦争中に衆議院選挙の実施が決まったが実施に至らなかった。

ただし、朝鮮や台湾の人も内地に住めば選挙権、被選挙権があったし、内地人も外地にあっては選挙に参加できなかった。

*2015年9月29日の北海道新聞によると、自民党・道民会議に所属する議員30人超が「北海道分権研究会」を発足させる。(1) 道南、道央、道北、道東の4県または(2) 道南、道央、道北、オホーツク、十勝、釧路・根室の6県 の2案を叩き台に議論を進めるという。

“北方領土問題で地元として話題になることが多いのが根室市です。「二島返還論」などというのは、全国的には論外という意見が多いが、根室ではけっこう現実的解決案として支持する人もいます。なんとなれば、歯舞諸島はすぐ沖合だし、色丹島も式距離だからで即効的な経済効果が期待できるからです。”

八幡 和郎

最終更新:8/15(月) 12:20

アゴラ

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