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連載|荏開津広「東京/ブロンクス/ヒップホップ 1983-1996 」第2回

ローリングストーン日本版 8/15(月) 17:30配信

連載:東京/ブロンクス/ヒップホップ 1983-1996
ローリングストーン日本版 2016年8月号掲載

丸屋九兵衛が語る、ブラック・ミュージックの歴史と革新性

ポスト・パンクのダンス志向から始まった1970年代終わりから80年代始めのポップ音楽シーンを今振り返ると、すべてがヒップホップへと矢印を指していたようにさえ思える。

1983年、ジャズ・ミュージシャン、ハービー・ハンコックのシングル『ロックイット』を含むアルバム『フューチャー・ショック』がミリオンセラーになった。翌年、グラミー受賞式でのハンコックらのパフォーマンスでDJグランドミキサーD.STがアナログ盤のスクラッチを披露する模様が世界中に中継された。それを見て衝撃を受けた世界中の無数の少年のうちの3人は、のちに日本を代表するヒップホップ・グループを結成した。「グラミー賞アワードでハービー・ハンコックのライヴを観て『あの動きはなんだ』って、そんなのにやられちゃった中1だった(2015年、筆者によるZEEBRAへのインタヴューより。)」

その3年前、1980年にはシュガーヒル・ギャングの"ラッパーズ・ディライト"が日本でもリリースされていた。同じ年アメリカでテレビ番組"ソウル・トレイン"に出演していたYMOの細野晴臣は翌81年、ギャグ・スケッチと音楽の混淆した『スネークマンショー』をプロデュース。シングル『咲坂と桃内のごきげんいかかが1、2、3』は粘着ファンキーなトラック上で延々とラップ調のコーラスを含むコントがのるものだ。81年、トーキング・ヘッズはアフロ・ファンク『クロスアイド&ペインレス』PVにボディ・ポッピングのダンサーを起用。彼らは日本国内でも最も先鋭的なロック・ファンに人気のあったバンドだった。82年にはNY滞在中の勅使河原季里がファッション誌にそのヘッズのデヴィッド・バーンも取り上げた連載で、ロック・ステディ・クルーやフューチュラ2000のインタヴューと写真を掲載したことは忘れてはならない。

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最終更新:8/15(月) 17:30

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