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ミャンマーは本当に“親日国”なのか?両国の忘れてはならない歴史

Wedge 8/16(火) 11:20配信

 毎年8月、日本では戦争と平和について考える機会が増える。そのとき話題になるのは広島・長崎の原爆被害であり、ソ連の参戦、そしてポツダム宣言受諾を述べる昭和天皇の声が流れた8月15日の終戦(敗戦)のことである。

“アジア・太平洋戦争”の実相

 これらをもたらした戦争はふつう「太平洋戦争」と呼ばれ、日本国民の記憶としては「米国との無謀な戦い」というイメージが圧倒的に強い。しかし、この戦争を「真珠湾奇襲で始まり、広島・長崎の原爆で終わった日米戦争」としてとらえることは、戦争の一面しかとらえておらず、正確とはいいきれない。

 そもそも1941年12月8日の真珠湾奇襲の約1時間前に、日本軍はシンガポール攻略を目指してマレー半島のコタバルに上陸を開始している。この事実こそが重要である。

 日本は当時、東南アジア全域の軍事占領を目指したのであり、米国を倒しワシントンDCに日の丸を掲げるために戦争をしかけたわけではない。東南アジアに侵攻するにあたって米国の太平洋艦隊にやって来られると面倒なので、その本拠地であるハワイ真珠湾を同時に奇襲したのである。戦争の目的は東南アジアの軍事占領にあったことを忘れてはならない。

 しかし、その後、米軍の激しい反撃を受け、甚大な被害を受けたため、戦後の日本ではこの戦争が「米国との無謀な戦い」として記憶されるようになり、戦争の記憶から東南アジア軍事侵攻と占領の部分がほとんど抜け落ちてしまった。この戦争は日米間の戦争としてイメージされやすい「太平洋戦争」ではなく、戦場としての東南アジアをしっかり記憶の中に位置づける「アジア・太平洋戦争」と呼んだほうがより正確だといえよう。また、この呼び方を用いたほうが、37年から本格化し45年まで継続した日中戦争についても併せて記憶に含みやすくなる。

 ところで、戦後71年がたったいま、私が教えている大学の学生たちは、おおむね「東南アジアの人々は親日的だ」「東南アジアには親日の国が多い」と考えている。「高校生のときシンガポールに住んでいましたが、現地の人々はみんな日本人に親切でした」「ミャンマーに観光で行きましたが、あんなに親日的な国は初めてでした」「ベトナム人の留学生と仲良くなり、彼女の日本好みに驚きました」などなど。

 こうした発言には、おそらく多くの日本人ビジネスマンも同意するのではないだろうか。しかし、待ってほしい。「親日である」と私たちに映る東南アジアの人々の心の奥底には、過去の日本に対するネガティヴな思いが隠されていることもまた事実なのである。戦時中の日本軍の東南アジアにおける軍事的・経済的野心や、占領の実態を知れば、それは私たちにも想像が可能なことである。ここではミャンマーの例をとりあげ、「過去の日本に対するネガティヴな思い」について考えてみたい。

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最終更新:8/16(火) 11:20

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