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浴びせられた辛辣批判 女子バレー竹下佳江さんはいかにして逆境越えたのか

THE ANSWER 8/16(火) 15:17配信

女子バレー竹下佳江さんが振り返る飛躍への転機

「バレーボールがこんなに楽しかったんだと再確認した」――。

 日本バレーボール史上に残る名セッター・竹下佳江さんは極度のプレッシャーに苛まれ、競技から離れた時期があった。苦しい練習や逆境が続く中で、どのように自らのモチベーションを再び高めていったのだろうか。

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 竹下さんは159センチとバレーボール選手としては非常に小柄ながら、高校時代から全日本ユースに選出されるなどセッターとしての才覚を発揮。10代にして日本代表に初選出されるなど順調なキャリアを歩んでいた。キャリアの集大成となった2012年ロンドン五輪では日本に28年ぶりのメダル獲得をもたらした。一見すると栄光に満ちているが、自身の見解は違うようだ。

「最後はきれいに銅メダルを取って終わったんですけど、シドニーの予選で一度苦しい思いをしましたからね。苦しんだ分だけ成長できたんですよ」

 竹下さんは大塚製薬による「ポカリスエット ブカツ応援キャラバン」の一環で奈良県の天理高校で講演会ならびにバレーボール部の直接指導を行った。日本の攻撃のタクトを振るい続けた竹下さんの人柄が現れた、誠実さのこもったイベントとなったが、講演会で自身が歩んだキャリアでの“停滞期”についても触れた。

浴びせられた辛辣な批判、「159センチのセッターじゃ無理でしょ」

 竹下さんにとって競技人生で大きな試練を味わったのは00年シドニー五輪最終予選だった。この大一番で正セッターに抜擢されたものの、チームは史上初となる本戦出場権を逃す結果となった。

「バレーボールは伝統あるスポーツで、その当時はメディアでは『出場権が途絶えてしまった』と大きく報道されました。また私に向けても『159センチのセッターじゃ無理でしょ』というものもあり、とても苦しい状況にありました。そこから2年間競技を続けましたが、精神的にいっぱいいっぱいで、バレーボールが楽しくないと思う自分がいました」

 02年、竹下さんは所属していたNECを退社して、バレーボールから一度距離を置くことを決意。自らを追い込み続けた日々から解放されたことによって、今まで気づかなかったものにも目を向けたという。

「当時はバレー漬けの毎日で、外の世界とあまり触れ合うことがなかったです。言ってみれば、社会人だけど社会人ではない、365日ずっとバレーをやっている状況でした。一度バレーから離れて人間らしい生活をしたことで“こういう空気感もあるのか”と気づくことができました」

 バレーボールにすべてを費やしていた日々から一転し、友人と食事や買い物に行き、身体を動かしたい時にジムへと足を運んだ。“普通の生活”となり「すべてが新鮮でした」。同時に、競技への思いも強くなっていたという。

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最終更新:8/16(火) 16:41

THE ANSWER

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