ここから本文です

3000安打は通過点。イチローも伝説の 「アンチエイジング選手」に

webスポルティーバ 8/16(火) 15:20配信

 メジャーリーグでプレーするバッターたちにとって、「通算3000安打」というのは夢の大記録です。そして夢を叶えた一流プレーヤーの多くは、達成したその年に引退を決意してユニフォームを脱いでいきます。それほど3000安打を達成することは非常に困難な道のりであり、最終目標として現役生活を続けてきたからでしょう。

【写真】イチローを差し置いてオールスター初出場した「無名の外野手」

 しかしそんななかにあって、3000安打を達成したあとも、それはあくまで通過点としてプレーを続けるバッターはいました。彼らは衰えることを知らない、まさに「アンチエイジング」なプレーヤーです。

 メジャーの歴史を古い順から振り返ってみると、まずはタイ・カッブを挙げなければなりません。1905年からデトロイト・タイガースなどで24年間プレーし、歴代1位の終身打率.367を誇る「球聖」は、1921年8月19日に当時34歳で3000安打を達成しました。

 1920年代はベーブ・ルースの出現によって、すでに「ホームランバッターの時代」が到来していました。その影響により、カッブの持ち味である小技を効かせた野球スタイルは隅に追いやられ、不遇の時代を迎えていたのです。しかしながら、カッブはプレーイングマネジャーという立場になりながらも現役を続けてヒットを積み重ね、メジャー17年目で3000安打を達成したあとも引退を決意することなく、結果的にその後7年もプレーし続けました。

 1927年には古巣のタイガースを離れ、フィラデルフィア(現オークランド)・アスレチックスに移籍。そして1928年、不滅の大記録と言われた通算4191安打まで数字を伸ばし、ようやくバットを置いたのです。引退したとき、カッブは41歳。まさに衰え知らずの偉大なバッターでした。

 次に紹介したい選手は、1941年からセントルイス・カージナルスひと筋で22年間プレーしたスタン・ミュージアルです。「ザ・マン」の愛称で親しまれ、セントルイス史上最高のプレーヤーと称されたミュージアルは、1958年5月13日に当時37歳で3000安打を成し遂げました。ちょうどその年のオフ、日米野球でミュージアルが来日し、日本ですごい騒ぎになったと言われています。

 その時点でミュージアルは、メジャー在籍17年目。引退後は最速で殿堂入りしたほどのスタープレーヤーです。しかし、3000安打達成後も彼はバットを置くことなく、翌年も現役を続行。その後、3年連続で打率3割を切ったのですが、なんと41歳となった1962年にはナ・リーグ2位の打率.330をマークしたのです。結果、ミュージアルは1963年まで現役を続け、当時ナ・リーグ記録の通算3630安打を残しました。

 続いては、1954年にミルウォーキー(現アトランタ)・ブレーブスでデビューしたハンク・アーロンです。アーロンは1970年5月17日、メジャー17年目のシーズンに当時36歳で3000安打を達成しました。

1/3ページ

最終更新:8/16(火) 15:44

webスポルティーバ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Sportiva

集英社

Sportivaムック
11月10日発売

定価 本体1,389円+税

フィギュアスケート特集
『羽生結弦 未来を創る人』
■羽生結弦 インタビュー、エッセイ
■羽生結弦 フォトギャラリー