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アノーニ、D・ルブラン、P・サイモン……岡村詩野が選ぶ、“新たなポップ哲学”を提示した上半期5枚

リアルサウンド 8/17(水) 14:30配信

 今年前半、個人的にも、また広く多くのリスナーの耳にも届いた作品としてまず挙げられるのがアノーニの『ホープレスネス』だろう。アントニー&ザ・ジョンソンズのアントニー・ヘガティが“女性”としてアノーニと改名し再出発を期した作品で、ハドソン・モホーク、ワン・オー・トリックス・ポイント・ネヴァーが音作りに参加したファースト・アルバムである。

 この作品が大きな注目を集めたのは、性差を超えたアノーニ自身の存在感……ここから新たな歴史を刻んでいくのだ、と決意したような強い息吹を感じさせるリリックによるところも大きかったが、そもそもがアノーニというアーティストの本質が見事に表出された作品だったからに他ならない。アントニー&ザ・ジョンソンズは滑らかなハイ・トーン・ヴォイスを生かしたクラシカルなヴォーカル・ミュージックとしての側面も持っていたが、一方ではハウスのDJなどが長年築いてきたニューヨークのクラブ・シーンや現代アート界隈から登場してきたバックグラウンドも持つ。その両方のアイデンティティを一つの作品に寄り添わせてみたら…。『ホープレスネス』というアルバムはその美しき姿だったと考えることができるだろう。

 しかも、いくつかの方向性や音楽性を一つに集約させた行為、もしくはプロセスが素晴らしいのではなく、その結果が新たな一つの独立したディレクションをちゃんと提案していることが素晴らしい。ミックスさせることは手法さえ体得すれば誰でもできる。ただ、アノーニはそれでは表現として不十分、いや、満足できないと考えたのではないかと思うのだ。クロスオーバーさせるなら、それをちゃんと一つの価値観として成熟させないと。そういう決意もまた、あの作品には込められていた。

 今年前半、心を揺さぶられたのはそのアノーニに象徴されるような、価値観を自身の中で成熟させ、新たなポップ・フィロソフィーを提示していた作品ばかりだった。繰り返すが、ミックス、クロスオーバーさせていることが重要なのではない。一本気でもいい。そこに自身の哲学が成熟した形で表れているポップ・ミュージックであることが重要。例えばディラン・ルブランの『Cautionary Tale』などはむしろ澱みのないオーセンティックなシンガー・ソングライター作品だ。既に一部熱心なリスナーの間で高い評価を得ているアーティストだが、アラバマ・シェイクスのメンバーもバック・アップしたこの新作で、彼はアレンジと演奏を洒脱なものにし、フォーク・オリエンテッドな音楽とはかくもモダンなものなのだ、とさりげなく主張。コソボに入っての制作が話題を集めた『The Hope Six Demolition Project』が本国イギリスでは新たなピークを迎えていると高く評価されたPJハーヴェイは、デビュー以来変わらぬハードで硬質なギター・ロック・スタイルを崩すことはしていない。けれど、そこに社会の一員であり、地球という星の一員である目線からの嘆き、批評を加えることで、弱者の叫びとしてのブルーズ・ロックの歴史を上書きしようとしている。

 あるいは、アーケイド・ファイアやザ・ナショナル周辺とも親しいLittle Screamは、スフィアン・スティーヴンスやシャロン・ヴァン・エッテンらが参加した『Cult Following』で、ディスコ、ソウル、アシッド・ジャズなどの要素を消化させた。だが、ただ彼女はそれら複数の音楽の要素から得たヒューマニズム、ユーモアなどを、ミステリアスな叙情性と優美さによってポップスを明確に再定義しようとした。再定義、という意味での極めつけはポール・サイモンの『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』だ。アフリカン・ミュージックへの大胆なアプローチで話題を集めた86年の代表作『グレイスランド』への自らの回答のような一面を持った作品だが、彼より遥かに若いイタリア人アーティストのクラップ!クラップ!と組んで制作するような試みによって、ポップ・ミュージックとは常に挑戦することの上にある、というテーゼを伝えてくれている。

 これが筆者の選ぶ今年前半の5枚だ。自身の持つポップ・ミュージックへの価値観にどこまで信頼を置けるのか。作り手も聴き手も、今、その是非を突きつけられているように思う。

リアルサウンド編集部

最終更新:8/17(水) 14:30

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