ここから本文です

SMAPは日本映画界に何を残したか? 宇野維正が振り返る「SMAPの映画史」

リアルサウンド 8/21(日) 6:23配信

 先週8月14日未明に発表されたSMAP年内解散の報を受けて、(情報の出どころがあやふやなゴシップだけでなく)これから様々な側面から、彼らの足跡や功績が振り返られることになるだろう。数多くの名曲を残した音楽グループとして、90~00年代という「テレビドラマの時代」を牽引した5人の演者として、アイドル・バラエティのパイオニアとして、タレントを起用した広告のあり方そのものを変えた存在として。

 そんな中で、「日本映画におけるSMAP」というのは、なかなか位置づけが難しいテーマである。自分はSMAPを、ジャニーズのアイドル・グループであるという以上に、楽器演奏こそしなかったものの、たとえばクレイジー・キャッツやザ・ドリフターズやザ・スパイダーズといった、日本の戦後芸能史を彩ってきた音楽とお笑いを横断する陽性のエンターテインメント・グループの末裔としてとらえてきたところがある。メンバー個々がそれぞれ特異な個性を持ったタレントであるのはもちろんのこと、5人が並んだ時にそこに生じる圧倒的な「ハレ」の感覚。「国民的アイドル」だとか「日本を元気にする」みたいな物言いはあまり個人的には好まないのだが、彼らは間違いなくそういう存在であった。それも、大々的にブレイクしてから数えるだけでも、20年以上もの長きにわたって。

 しかし、プログラムピクシャー・システムの中でグループとして多くのコメディ映画に出演してきたクレイジー・キャッツやザ・ドリフターズやザ・スパイダーズのような歴史は、もちろんSMAPにはない。映画『ウエスト・サイド物語』を見て感動した野球チームの子どもたちによって結成されたという逸話を持つ「ジャニーズ」をルーツに持つジャニーズ事務所の運営方針は、映画よりもミュージカル/舞台に主軸を置いてきた。つまり、映画『ウエスト・サイド物語』は、「映画」としての面ではなく「ミュージカル」(の映画化作品)としての面において重要なきっかけであったということだ。ジャニーズのグループのコンサートは、基本的にグループのメンバー(SMAPの場合、2006年までは中居正広、2008年からは香取慎吾)が構成を担当するのが決まり事となっているが、それは「舞台演出の延長線上にコンサート演出がある」というジャニー喜多川氏の哲学によるもの。そうした事実をふまえると、歴史的にジャニーズが映画という表現フォーマットに対して淡白であったことにも納得できる。あれだけたくさんの人気グループがいた/いるのに、グループでの主演映画は、SMAPに限らず思いのほか少ないのだ(意外にも「グループ映画」が一番多いのはシブがき隊だ)。

 そんなSMAPにも、『シュート!』というグループとしての主演映画が1本だけある。Jリーグが創設された翌年の1994年、Jリーグ・ブームのどさくさの中で生まれたような、サッカー映画としては付き焼刃的な作品ではあったが(原作は高校サッカーを描いた人気マンガでアニメ化もされている)、ファンならばご承知の通り、この作品には森且行を含む6人のSMAPの姿が刻まれている(つまり、5人になってからのSMAP映画というものは存在しない)。また、V6結成前の井ノ原快彦と長野博がチームメイトとして、さらにまだCDデビュー前のKinKi Kidsの堂本剛&堂本光一や、男闘呼組が活動休止となった直後の前田耕陽が友情出演しているなど、ジャニーズ史的にも貴重な瞬間をとらえた作品と言えるだろう。

 その『シュート!』以前から、映画俳優として注目すべき活動をしていたのは稲垣吾郎だ。テレビドラマ『二十歳の約束』が人気を集め、メンバーの中で最初に「役者」として頭角を現していた稲垣吾郎は、1990年に『さらば愛しのやくざ』で映画デビュー、1993年には『プライベート・レッスン』(シルビア・クリステル主演のアメリカ映画のリメイク)でSMAPのメンバーとして最も早いタイミングで映画初主演をはたしている。いずれの作品も監督は和泉聖治。ピンク映画界、Vシネマ界で作品を量産した後、近年は『相棒』のメイン演出家として活躍している一癖も二癖もある演出家だ。映画通としても知られている稲垣吾郎が、本格的に映画俳優として開眼したとされているのは、鮮烈な悪役ぶりで注目を集めた2010年の『十三人の刺客』。その監督の三池崇史も、和泉監督より一世代下ではあるが、同じように「質より量」の80~90年代Vシネマ界を持ち前のバイタリティで支えてきた演出家。現状、SMAPの中で唯一、継続的に「主役だけでなく脇役もこなしている」稲垣吾郎の名バイプレイヤーとしての資質は、そんな個性の強さと職人肌を合わせ持つ監督たちとの仕事によって培われてきた。

 草なぎ剛もまた、1999年に初演した舞台『蒲田行進曲』(つかこうへい演出)を大きなきっかけとして、役者としての評価を確立してきたSMAPのメンバーの一人だ。テレビドラマにおけるブレイク・ポイントは2003年の『僕の生きる道』であったが、映画俳優としてもその前後に黒沢清監督(『降霊』。1999年にテレビの2時間ドラマ枠で初放映)、塩田明彦監督(『黄泉がえり』。2003年)といった通好みの監督と仕事をしていることに注目したい。2006年には『日本沈没』が大ヒット。累計興収53億4000万という数字は、テレビドラマの映画化作品を除いたSMAPのメンバーの単独主演映画としては最高の記録。役者としての安定感は、SMAPのメンバー随一と言っていいだろう。

 2007年、そして2015年に2回映画化された『HERO』、それ以前の山田洋次監督の『武士の一分』(2006年)などで映画界においても大きな結果を残してきた木村拓哉だが、テレビドラマ界における長年にわたっての圧倒的なヒットメイカーぶりと比べると、意外にも映画では出演作が少ない。高視聴率が常に至上命題となっていた主演ドラマの一方で、映画においては、(いずれも主演ではなかったが)ウォン・カーウァイ監督の『2046』(2004年)、トラン・アン・ユン監督の『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(2009年)といった海外資本作品におけるチャレンジと、それによる役者としてのブランディングに比重が置かれていた印象が強い。特に90年代後半~00年代前半の日本では、今よりも明らかにテレビドラマが映画よりも時代の主導権を握っていたわけだが、当時の日本映画界は木村拓哉というスターの規模に見合うだけのヒット・ポテンシャルのある企画を用意できなかったという見方もできる。

 残りの2人、中居正広と香取慎吾に関しては、これまで映画俳優としてあまり恵まれたキャリアを歩んできたとは言えない。中居正広は主演作に『私は貝になりたい』というスマッシュ・ヒット作が、香取慎吾は主演作に『西遊記』という大ヒット作があるにはあるが(逆に言うと、興収20億を超える主演作はそれぞれその1本しかない)、作品の評価、そして役者としての評価、ともに特に主演作においては芳しい結果を残せなかった(あくまでも映画での話であり、テレビドラマの主演作にはそれぞれ秀作もある)。中居正広は近年自らが司会を務めるバラエティ番組の中で「演技の仕事はもうこりごり」といったニュアンスの発言をしているほど。また、香取慎吾は主演作よりも、むしろ三谷幸喜監督作品などにおけるバイプレイヤーとしての方が、明らかに伸び伸びとした演技を披露してきた。今後、稲垣吾郎のように「主演前提ではない作品選び」さえうまくやっていくことができれば、まだまだ映画俳優としての伸びしろはあるはずだ。

 三谷幸喜の名前を出したところでふと思い出すのは、三谷が監督ではなく脚本を手がけ、1999年の正月に3時間の長編ドラマとしてフジテレビ系列で放送された『古畑任三郎 vs SMAP』のことだ。「SMAPの解散危機」と見せかけて、実はメンバー間の強い結束を描いたその作品は、ファンならば今こそもう一度観たい作品の筆頭だろう。本稿の冒頭でSMAPのグループ主演作品が1本しかないことを嘆いたが、この『古畑任三郎』とのコラボ作は、そんな「SMAPの映画史」の空白を埋めてあまりある楽しい作品だ。SMAPならではのカッコよさ、ユーモア、そしてメンバー間の絶妙な関係を、フィクションとして最も優れたかたちで収めていたのがその作品であったということは、90~00年代が「SMAPの時代」であったのと同時に「テレビドラマの時代」であったことを象徴している。

宇野維正

最終更新:8/21(日) 6:23

リアルサウンド