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キャロリン・ベセット・ケネディを知っていますか?

ハーパーズ バザー・オンライン 8/21(日) 11:00配信

アメリカが最も愛する息子と評されたジョン・F・ケネディ・ジュニア(ジョン・F・ケネディ大統領の長男で、キャロライン・ケネディー現米国駐日大使の弟)が、キャロリン・ベセットとカンバーランド島で極秘に結婚式を挙げたのは、1996年9月21日のこと。その2日後に発表された1枚の写真は世間を驚かせ、ニュースが瞬く間に世界中を駆け巡った。教会の階段を下りながら、新婦の手にキスをするジョン。ほとんどノーメークのキャロリンはこぼれんばかりの笑みで、当時はまだ無名だったナルシソ・ロドリゲスがデザインした、ウエディングドレスというよりはスリップのような真っ白のドレスをまとっていた。

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2人の結婚生活は約1000日で幕を閉じた。1999年7月の雨に煙るある晩、マーサズ・ヴィニヤードドに向かってジョン自ら操縦していたプロペラ機が大西洋に墜落。同乗のキャロリンとその姉ローレンも共に死亡したのだ。皮肉にも1000日というのは、父ケネディ大統領の在任期間とほぼ同じ日数だった。



2人は2年間の交際期間中、比較的うまくメディアの目をかわしていた。結婚式半年前に、キャロリンが婚約指輪を彼に向かって投げつけるという激しい喧嘩シーンをパパラッチに押さえられたのを除いては。20年前の当時、女性がそのように威勢がいいことは逆手にとられた。写真は『ナショナル エンクワイアラー』(Nationak Enquirer)に売られ、メディアはビデオを連日繰り返して報道。“性悪女”のレッテルを貼られた彼女は、それを機に、世間の目から隠れた。 
 
わずか3年弱という短い結婚生活の間、キャロリンは日々メディアの標的になった。まるでソープオペラの主人公。タブロイド紙は競い合って、彼女の眉の形から愛犬のウンチを道端で拾うところまで、追いかけた。今日のように、SNSを通して自分でパブリックイメージをコントロールできるような時代ではない。一度撮られたら、おしまい。ケネディ夫妻は我慢するしかなかった。 
 
「2人は、世間は結婚式には興味津々だろうが、それさえ極秘にすませられれば、後はどうにかなるだろうと考えていた節がある」と、彼女の友人は言う。しかし、世間はそう甘くはなかった。結婚式2週間後には、ジョンが2人のトライベッカの住まいの前に群がるメディアの前で直接、彼女のプライバシーを尊重してくれるように懇願したほどだった。

当時は、NYのタブロイド紙が今では考えられないほどのパワーを持っていた時代。『ニューヨーク ポスト』の有名なゴシップページ『ページ シックス』(Page Six)に一行でも書かれたら、それがその人のキャリアを左右するような時代だった。彼女の名前はほぼ毎日登場。NYのメディアにとって、ジョン&キャロリン以上に大きな獲物はなかった。できるだけノーマルな私生活を送りたいと考える2人と、強力なメディアの注目は相容れなかった。

ボストンのカルバン・クラインのショップで働いていた彼女は、社の重役に引っ張られて80年代の終わりにNYに越した。学生時代、陽気でふっくらしていたパーティーガールは、ほっそりと洗練されたマンハッタン仕様に変身した。 
 
NYでの5年間で、彼女は有名人や富裕層のパーソナルショッパーから、PRエグゼクティブ、そしてカルバン・クラインのスタイルミューズへとステップアップ。ケイト・モスのデビューとなった広告起用にも一役買った。彼女は、当時まだ無名だったケイトを、アートディレクターのファビアン・バロンと共にクラインに強力に推薦。マーク・ウォールバーグと一緒に写った写真は伝説となり、当時倒産寸前だったブランドを救うのに大いに貢献した。その後、キャロリンとケイト(そして、当時の彼女の恋人ジョニー・デップ)は数年間、ビレッジにある同じアパートに住んでいたほどだった。
 
もちろん、彼女のルックスとスタイルが伝説的だったのは言うまでもない。「彼女は、メディアが事細かくストリートのファッションをフォローした最初の人物のひとりでした」と『ハーパーズ バザー』元編集長で『タウン&カントリー』コントリビューターのケイト・ベッツは言う。「1996年というのは、パパラッチがストリートスタイルを追いかけ始めた頃。今日ほど、デザイナーブランドの服をセレブに着せることが大事な時代ではなかったし、レッドカーペットの批評も始まったばかりだった」

キャロリンのファッションは、『The Row』がよく参照したり、彼女が使用していたと噂されるコスメ専門のウェブサイトがあったりと、今もなお影響を与え続けている。死後20年が経ち、その間、さまざまなファッションが生まれては消えていく中で、ベストドレッサーリストから彼女の写真が消えることがないのは驚異的だ。
 
「彼女は大人っぽく装いながら、老けて見えない。30年代~50年代に見られたようなスタイルで、ジョンの母ジャクリーン・ケネディと似たようなエレガンスがある。今の時代は、どうやってSNSやメディアの注目を集めるかというファッションばかりだけれど、彼女が目指したのは、それとは真逆。ああいうスタイルができる人はもういない」と、ニューヨーク州立ファッション工科大学の副ディレクター、パトリシア・ミアーズは言う。 
 
「結婚式で着たスリップドレスも当時は革命的で、あのシンプルさはショッキングだった」と前記ベッツ元バザー編集長。ウエディングドレス専門店Stone Fox Brideでは、あのドレスをモデルにしたドレスが今までで最も人気があるという。 
 
快活で陽気で人を惹きつける魅力に溢れた彼女は、結婚後、人目から逃れるように暮らし、タブロイドに捉えられた彼女の顔からは笑顔が消えた。それとともにファッションも、以前好んだVネックの深く開いたものやストラップドレスは消え、ネックラインは高くなる一方に。公的なイベントに出る際も、身体のラインがあまり出ないものに、ヘアスタイルも教師風になった。 
 
もし生きていたら、彼女は今年で50歳。いま頃 、何をしていただろうか。ファッションディレクター? コンサルタント? それともケイトがトップショップでやっていたようにファッションラインを手がけていた? いずれにせよ、あれほどのテイストの持ち主が放って置かれることはなかっただろう。

最終更新:8/21(日) 11:00

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