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4×100m銀メダル。偉業の裏には積み上げてきた挑戦の歴史がある

webスポルティーバ 8/21(日) 19:40配信

 リオデジャネイロ五輪陸上競技8日目の8月19日は、日本が世界を驚かせた日になった。男子4×100mリレー決勝で100m9秒台や200m19秒台の選手がひとりもいない日本チームが、3走から4走の受け渡しではジャマイカを抑えて先頭に立ち、最後はウサイン・ボルトに突き放されたものの、アメリカを抑えて2位で銀メダルを獲得した(後にアメリカは失格)。

宙を舞うビューティーポリス、クリスティン・ギエリシュ((ドイツ/陸上・三段跳び)

 記録は前日の予選で出したアジア記録を0秒08更新する37秒60。世界歴代国別最高記録でジャマイカとアメリカに次ぐ3位という、価値のあるものだった。

 その快挙の伏線は、前日の予選から張られていた。最初の第1組で中国が、アジア記録を更新する37秒82を出してアメリカに次ぐ2位になり、世界選手権2位の実力を見せつけた。だが第2組の日本は、その記録を意識することなく、ボルトを欠くジャマイカを抑えて1位になり、これまでの日本記録を0秒35更新する37秒68を出して、すぐさまアジア記録を奪取した。

 日本陸連の伊東浩司強化副委員長は「中国は予選でアジア記録を出したときに大喜びをしていたが、日本チームはその記録を塗り替えても冷静で平然としていた。そんな姿の違いに頼もしさを感じた」と言う。

 伊東氏が感じたように、選手たちの意識は高かった。山縣亮太は「メダルを獲るというのが目標でしたが、37秒60くらいを出さなければメダルには届かないと思っていたので、そのタイムを目標にしていました」と言い切る。

 個人の成績は、100m準決勝で10秒05の自己新を出した山縣以外は納得できない結果に終わっていた。桐生祥秀は自分の走りができずに予選落ちし、ケンブリッジ飛鳥は準決勝で隣のジャスティン・ガトリン(アメリカ)の好スタートに圧倒されて力んでしまい、タイムを落としていた。そして200mに出場した飯塚翔太は「うまく走ろうとし過ぎてしまった」と、予選落ちしていた。

 それでも、日本陸連の苅部俊二短距離部長は「山縣は自己ベストを出していたし、ケンブリッジも準決勝へ進んでいた。桐生も予選落ちとはいえ、走り自体はそんなに悪くなかったし、飯塚もスタートで出遅れるミスをしたが悪い走りではなかった。みんな調子も悪いわけではないので、リレーは大丈夫だと思っていた」という。心配された桐生も予選のあとには「100mでは悔しい思いをしましたが、リレーは別物だからそれを引きずってはダメなので、今日は役割を果たすために走った」と、しっかり気持ちを切り換えていた。

 それまでの日本記録は、07年世界選手権で出した、塚原直貴と末續慎吾、高平慎士、朝原宣治の38秒03だった。昨年8月に行なわれた世界選手権のころは、けが人が続出の短距離だったが、今年に入って桐生、山縣の2本柱と飯塚が復活した。

 さらに各個人の走力も以前より確実に上がっていた。そんな状況を選手たち自身も承知しているだけに、それぞれの選手が9秒台や19秒台を出さなければいけない記録だと意識するのと同じように、「37秒台はメダル獲得のためには絶対に必要な記録」と意識していた。

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最終更新:8/22(月) 13:36

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