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苦労が楽しい、貧乏女探偵シリーズ 『静かな炎天』

Book Bang 8/22(月) 8:00配信

 私立探偵の苦労を世界一楽しく描いた小説である。

 未読の方に若竹七海の〈葉村晶〉シリーズの魅力を伝えるとしたら、そう説明するのがいちばんだ。え、苦労を楽しくってどういうこと、と思った方がいたら、ぜひ最新短篇集『静かな炎天』を読んでもらいたい。

 葉村晶は一本どっこで生計を立てている私立探偵、といえば聞こえはいいが、その実はミステリー専門の古書店に間借りをして事務所を開いている身の上で、その店でアルバイトとして働く時間のほうがはるかに長い。最近になって四十肩の症状が出てきた彼女の肉体は、店頭への棚出し作業をするたびに悲鳴を上げるのである。書店の経営者の一人である富山泰之が思いつきで指示を出してくるたびに、晶は目眩(めまい)のするような事態に巻き込まれることになる。

 収録された六篇を読むと、葉村晶が事件に関わることになるいきさつが、実にバリエーション豊かであることに気づかされる。たとえば「血の凶作」では、店にゲストとして来たことのある作家が、自分になりすました男の正体を突き止めてくれと言ってくる。「副島さんは言っている」では、富山に命じられて幻の作家に著作出版のわたりをつけようとしているところに、知人からの電話が飛び込んできて事件に巻き込まれることになる、といった具合に。

 冒頭だけではなくて、もちろん中盤以降の展開も独創的であり「聖夜プラス1」では富山に頼まれた迷惑な用事のため都内西部をさまよっているうちに、事件の影がすり寄ってくるという凝った内容で、もし「おつかい小説」アンソロジーというようなものがあるのなら、ぜひ採用したい逸品だ。表題作は、飲酒運転で多くの人に重傷を負わせた男の現状を調べてほしいという依頼から始まる作品だが、開幕後すぐに転調の瞬間が訪れ、小説の雰囲気ががらりと変わる。次から次に違った依頼人が顕れて調査料を置いていく、という貧乏探偵にはたまらない状況が現出するのだ。そうした日々の裏で進行していた事態が何であったのかが、結末では明かされるのである。この作者らしい辛辣な落ちに読者は胸を衝かれることになるだろう。

 私の好みは「熱海ブライトン・ロック」だ。題名がグレアム・グリーンの名作青春小説へのオマージュになっており、内容も呼応している。このように、各篇に古典ミステリーについての言及もあり、読書好きの頬を緩ませる仕掛けなのだ。この手の込み方がまた、たまらないのである。

[評者]――杉江松恋(書評家)

※「週刊新潮」2016年8月25日秋風月増大号

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最終更新:8/22(月) 8:00

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