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土壇場で遅れを取り戻した「フラット3」。トルシエが築いた土台。潮流に合った戦術変更【西部の4-4-2戦術アナライズ】

フットボールチャンネル 8/24(水) 10:20配信

 アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、トルシエ監督が日本代表を率いた時代の戦術「フラット・スリー」は、ミランで勃興した4-4-2戦術の流れを汲んでいた。2002年日韓ワールドカップでは、同戦術のマイナーチェンジにより、日本はベスト16進出を果たしている。(文:西部謙司)

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“時代遅れ”になっていたミラン流のハイライン

 フィリップ・トルシエ監督の率いた日本代表は、「やられそうでやられない」のが特徴だった。「フラット・スリー」による高いディフェンスラインは一発で裏をつかれるリスクと隣り合わせだったが、それを誘い水に緻密な組織守備で迎撃していた。しかし、2002年ワールドカップの段階では少なくとも4年遅れの戦術だった。

 当初、ミランがやっていた非常に高い位置でのラインコントロールは、わりと早い段階で低めに設定し直されている。1994年米国ワールドカップでは、ミランでこの守備戦術を始めたアリゴ・サッキ監督が率いていたにもかかわらず、イタリアのラインはそれほど高くない。酷暑の米国では、ラインコントロールとセットになっているプレッシングが難しかったからだ。

 1998年フランスワールドカップでは、アルゼンチン戦でのデニス・ベルカンプ(オランダ)の美しいゴールのように1本のパスで裏をつく攻撃が浸透していて、この大会ですでにラインは下がっていた。

 ミラン型戦術の普及とともに対策も進んだヨーロッパでは、守備も修正が繰り返されていた。一方、98年に就任したトルシエ監督は4年後の自国開催に向けてヨーロッパに追いつくべく突貫工事のようにチームを作っていったわけだが、そこにヨーロッパのような厳しい競争はない。

アジアカップ制覇後、フランス戦での挫折

 アジアカップに圧勝した後、「ここから一気に加速する」とトルシエ監督は話していたが、フランスとの親善試合で0-5と大敗を喫して出鼻を挫かれた。直後のスペイン戦では、いきなりラインを大きく下げている。ヨーロッパが経験した数年分を1試合で体感したので皮肉な言い方をすれば戦術的には「加速」した。

 ただ、チーム作りとしては挫折である。スペイン戦で相手の監督から「バスを置いた」と揶揄された超守備戦法から、その後は持ち直してワールドカップに臨んでいる。

 その間、何度かフランス戦に似たような試合があった。ラインコントロールの隙を狙われて失点したノルウェー戦があり、1トップ+2シャドーのホンジュラスには3バックの前面を浸食されている。ホンジュラス戦直後の会見でトルシエ監督は「1対1で勝たなければいけない」と話したが、これは自身の「3対7でも守りきれる」と豪語した以前の発言と矛盾している。

 数的不利でも組織で守りきれるはずが、結局は「1対1」で勝たなければダメだと言っていた。ある意味、どちらも本当である。サッカーは1対1があり、組織がある。個と組織は両輪。ただ、キャッチアップに必死だった日本はヨーロッパであったような試行錯誤を経ておらず、トルシエ監督の指導方法も疑義を挟ませない結論ありきだった。組織最優先。そうでなければ2002年には間に合わなかっただろう。しかし、そのために“重み”を欠いていた。

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最終更新:8/24(水) 10:25

フットボールチャンネル

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