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松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した

リアルサウンド 8/24(水) 18:04配信

 『シン・ゴジラ』を観て、まず最初に、僕が90年代末に感じていた“日本映画の面白さ”を思い出しました。たとえば、押井守監督の『パトレイバー』や金子修介監督の『平成ガメラ』シリーズ、あるいは三池崇史監督の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』とか『漂流街』などがそうだったんですけれど、誰かにおもねることなく、作り手が面白いと思うものを打ち出している感じがしたんですね。80年代は“洋画の時代”で、言ってみれば日本映画は若者にとってダサいものだった。人情話や動物モノが多くて、僕も全然かっこいいとは思わなかったんです。でも、90年代に入ると、様々な制約がある中でもすごく面白いものを作る人達が出てきた。観客に媚びることなく、センスで観せる監督が出てきたんです。正直、観客を呼べていたかというと、そうではなかったんだけど。ただ、ここから新しい日本映画が生まれるんじゃないか、という機運はあったんです。

 ところが2000年代に入って、『世界の中心で、愛をさけぶ』が大ヒットしてからは様相がガラッと変わってしまう。ベストセラー小説や漫画を原作とした映画や、テレビドラマの映画版などがすごく増えて、そうした作品の興行成績は良いけれど、僕が映画として本当に面白いと感じるものは減っていったんです。でも、今回の『シン・ゴジラ』は庵野秀明監督のセンスを信じて作られている感じがして、すごく興奮したんですよ。「ゴジラって本来、こういうものだったよね」っていうのを、思い出させてくれた感じで。

 2014年に公開されたアメリカハリウッド版の『GODZILLA ゴジラ』は、怪獣プロレス映画としてすごく面白くて、僕は正直、もう日本でゴジラを作る必要はないのかもしれないと思っていたんです。僕はいわゆる平成ゴジラがあまり好きではなくて、なぜかというと、ストーリーが子ども向けだったり、アメリカ映画を意識しているような作りが気になったからなんですね。アメリカ映画を意識した日本映画って、ダサいじゃないですか。だから、もうハリウッドに任せてしまえば良いと思ったんです。

 それが今回の『シン・ゴジラ』は、一番最初の本多猪四郎監督の『ゴジラ』ーービキニ環礁の核実験から着想を得て、戦後の日本だからこそ感じられる恐怖がにじみ出たゴジラになっていた。最初の『ゴジラ』では、死を覚悟した母親が子どもに対して、「もうすぐお父ちゃんのところに行けるのよ」ってセリフを言うシーンがあるんですけれど、その描写は当時の人々にとってのリアルな恐怖を表現したはずです。一方の『シン・ゴジラ』は、3.11の記憶が色濃く反映された作りで、その精神性はまさに初代『ゴジラ』から引き継がれたものです。最近のマーケティングを意識した日本映画とは、一線を画する作品だったと思います。

 街の破壊の描写ひとつ取っても、平成の『ゴジラ』が観光地を破壊するのは娯楽として爽快感のあるものだったけれど、『シン・ゴジラ』で東京駅が壊されていく様には、痛快さと同時に悲しさがあります。僕は、映画には必要な破壊があると思っていて、今回の破壊描写は本当に見事でした。たとえば、退避命令が出ている中、おじいさんが逃げ遅れていたりして、ゴジラを攻撃するチャンスを逃してしまったりするシーンは、否応なく3.11を思い出させます。ああいうシーンを正面から描き切ったのは、作り手としてとても覚悟がいることだったと思います。また、アメリカ映画では、9.11以降は安易に“爆破”の描写が使われなくなって、『宇宙戦争』や『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』のようにビルが壊れるときは粉塵で表現するようになっていきましたが、『シン・ゴジラ』では水の怖さがリアリティを持って描かれていました。ゴジラの上陸によって川の水が逆流して、瓦礫が散乱していく描写は、3.11を経験したからこそのもので、この映画のキモになっていると思います。

 キャストについては、映画が始まってすぐは「どんなリアリティで見ればいいのだろう」と思うところもありました。特に大杉漣さんの芝居とか、彼は存在感で芝居をするタイプなのに、こんなに喋らせてしまって良いのかなって。そしたら登場人物全員に早口で専門用語を次々飛び交わさせて、これは感情より情報を優先して芝居をさせているんだな、と気づきました。 普通の映画なら会議のシーンで「(中略)」なんてしないですよ(笑)。激昂する演技なんて、日本映画が最も得意とする場面ですから。良くも悪くもですけれど。この映画ではそういう盛り上がりを一切省いてます。さらに石原さとみさんが出てきたあたりで、この映画はこれで良いのかって、納得しましたね。彼女がリアリティの基準を定めてくれたんだと思います。 一方で、長谷川博己さんが率いるチームには、自然な演技ができる人たちを集めていましたね。特に塚本晋也さん、高橋一生さんが素晴らしかった。ものすごくフィクション性の高い設定に説得力を与えていたと思います。物語が進むに連れて、だんだんと彼らの芝居に盛り上がっていくのと同時に、ゴジラが東京に近づいていく。身近な風景が壊されていく中で、彼らが組織の指示とは別に一致団結して戦う姿にはグッときます。「今の時代、こんな人たちがいてくれたら心強いな」と思う人も多いんじゃないでしょうか。そんな中、ゴジラが光線を出して、尻尾をグルングルン振り回すカットなんかは涙が出そうになりましたね。冒頭の展開や「(中略)」の演出に油断させられた分、東京が破壊される頃には衝撃と感動が入り混じった気持ちで観ていました。「この映画はどこまで連れてってくれるんだろう」と。

 たぶん、この映画のリピーター率が高いのも、そのあたりがポイントなんじゃないかと思います。『シン・ゴジラ』は良い意味で粗があって、50点のところもあれば120点のところもあるんです。けど、その落差があるからこそ、「このシーンは圧倒的に好き! だからよし!」みたいな、結果的に全編を通して好きになってしまうような作品です。ちょっと稚拙に感じるところも、見ていくうちに味に変わってしまうんですよね。石原さんの隣にいる無言で立っている大きな外国人とか。 あれはダウンタウンと板尾創路のコントを思い出しましたよ。あの感覚、海外の人には通じるのかな(笑)。

 『シン・ゴジラ』もそうだけど、今年は『アイアムアヒーロー』とか『ヒメアノール』とか、骨太な映画がちゃんとヒットしていますよね。たとえば原作のイメージを壊さないように作られた漫画原作のヒットと、『シン・ゴジラ』のヒットは意味合いが全然違うと思います。今回『シン・ゴジラ』を観て面白いなと思った人は、これから期待を持って映画を観に行くようになると思うんです。世界的に有名な怪獣ですけど、作品にはオリジナリティがありますから。原作に忠実な映画を観に行くのは、言ってみれば確認作業でしかないんです。でも『シン・ゴジラ』には、圧倒的な見たこともない発見がある。もし「映画って、こんなにヤバいものなんだ」って、思う人がいてくれたらいいですよね。本作はもしかしたら失敗するかもしれない、ギリギリのところまで攻めて、うまくまとめるだけじゃなく、良い意味で過剰な作品に仕上げていると思います。バランスよりもセンスを優先させたことで、ハリウッド版とは違う土俵を作ったんじゃないでしょうか。

 それと、ドキュメンタリー監督として面白かったのは、ワンショットが長いところ。カットが割られず、途切れない映像というのはカメラの前で起きている現実そのものなのです。人々が話し合っているところの描写は、結構細かく割っていて、感情が映りきらないうちに次々場面が転換されていくんですが、ゴジラが出てくるシーンはじっくり撮ることで「そこにいる」という効果を出しています。例えば車窓からずーっとゴジラが歩いてるのを撮ってるカットや、尻尾が頭上をいく様を路上から撮ることで、人間から見ている視点であることを強調されていました。日本映画が得意とする情感の部分を、ゴジラのシーンで表現しているのがたまらなかったです。よく指摘されているように、会議のシーンとかは岡本喜八監督のカッティングを意識していると思うんですけれど、それはあくまでゴジラの物語を進めていくための情報であって、見せどころをゴジラのシーンに集約していたのが正しい怪獣映画だなと思いました。

 90年代は、日本映画に限らず、台湾ニューシネマのエドワード・ヤン監督なども含めて、“世界をどう捉えるか”がテーマになっていたと思うんです。つまり、映画を通してミニマムな世界を描くことで、フレームの外にある世界がいま、どうなっているのかを紐解くような作品というか。押井守監督の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』などは、まさにそんな感じで、もしも東京でいま戦争が起きたらどうなるのかを描くことによって、当時の東京を見つめ直すような作品でした。それと同じ構造が、『シン・ゴジラ』には感じられて、「現実 対 虚構」というキャッチコピーもすごく合っていました。そこに僕は、90年代映画の精神ーーフィクションを通して、いま生きる世界がどうなっているのかを考えた一連の作品を思い出したのです。00年代になると「セカイ系」と呼ばれる作品群も出てきましたが、ああいう内向きなものとは違って、本作には、そう簡単には手の届かない大きな世界を描こうとしている志があったと思います。

 昔はそういう映画を作っても全然お客さんが入らなくて、それこそ作家主義みたいな言葉で片付けられていたところがあったけれど、『シン・ゴジラ』はそんな枠に収まらない稀有な作品だと思います。だから、この作品を観て面白いと感じたひとは、ぜひ90年代の作品も改めて観てほしいですね。『平成ガメラ』シリーズや『パトレイバー』も良いんですけれど、実はジャ・ジャンクー監督の作品とかも決して遠くないところにあると思います。黒沢清さんの『CURE』も、東京の日常風景の中で突然、事件が起きて人が死に、決定的な出来事がワンカットで記録されている、現実と地続きにあるような映画です。『シン・ゴジラ』は日本映画で久々に登場した、観たあとに、自分が生活している世界の認識がグラグラするような、そんな作品なんだと思います。

松江哲明

最終更新:8/24(水) 18:04

リアルサウンド

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。