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キュレーターズ(3):ヤン・フート----「閉ざされた回路」の開放 - 小崎哲哉 現代アートのプレイヤーたち

ニューズウィーク日本版 8/24(水) 12:15配信

<現代アートとは何かを考えるために、ふたりの天才的キュレーター、ヤン・フートとジャン=ユベール・マルタンを対比することは絶好の糸口になるが、今回は、『オープン・マインド』展のヤン・フートをみてみよう>

参考記事:キュレーターズ(1):『大地の魔術師』展とドクメンタIX

 若き日の中原浩大が観て衝撃を受けたふたつの展覧会の内、ヤン・フートがキュレーションした『オープン・マインド』展がヘント市立現代美術館(SMAK)で開幕したのは1989年4月15日のことだった(6月25日終了)。同展は「閉ざされた回路」という副題を持ち、あるアーティストへ捧げられている。1853年に生まれ、時代の流行だった印象派の影響を受けながらも彼らとは一線を画し、大胆な色使いで力強いタッチの絵を描き続け、1890年に自死した(といわれる)フィンセント・ファン・ゴッホである。

 SMAKには、1886年に描かれた自画像が出展されていた。この絵を描いた2年後にファン・ゴッホは自らの左耳を切り落とす。翌1889年の5月にはサン=レミの精神病院に入院。1年後に退院するが、その後2ヶ月ほどで命を絶った。周知のように、傑作が次々に描かれたのは、この短い晩年の時期である。

Vincent van Gogh Self-Portrait


 本人に捧げられているのだから当然だが、『オープン・マインド』はファン・ゴッホを中心に据えた展覧会だった。いや、中心というより「境界」と呼ぶべきかもしれない。もちろん、「インサイダー」と「アウトサイダー」の境界である。ファン・ゴッホという扉を境目にして、2種類のアートが展開されていた。鑑賞者はオープン・マインドに、すなわち心を開いて虚心坦懐に、偏見なく作品を観ることを要請された。

 正確に言うと「境界」のアーティストはもうひとりいた。インサイダーとアウトサイダーではなく、別の対立要素2種の境目に存在する作家である。『オープン・マインド』の企画意図を正確に理解するためには、ファン・ゴッホに劣らずこの作家も重要だと僕は思う。だがその名を明かす前に、同展がどのような展覧会だったのか、まずはその成り立ちと内容を見ていこう。



ファン・ゴッホに捧げられた展覧会

 会場となったSMAKは1975年開館した、ベルギー初の現代美術館である。フートは開館時の、つまり初代の館長。15年目に『オープン・マインド』展を開催したときには、『シャンブル・ダミ』展の成功などで国際的に注目されるスターキュレーターとなっていた。現代アートの普及に14年間努めた上での、いわば満を持しての企画だった。

 SMAKは、1999年に移転・新規開館するまではヘント美術館に併設されていた。したがって『オープン・マインド』は同館館内で開催されている。1798年に開館したヘント美術館は、中世から20世紀までの多彩なアートコレクションを有する伝統的な展示施設である。フートは、『オープン・マインド』のカタログに、同館館長のロベルト・フージーと連名で以下のような文章を寄せている。

「2つの美術館は相異なる存在であり、知的な訓練としての暫定的な企画展によってのみ結び付くことができる。『オープン・マインド(閉ざされた回路)』は、2館の強いられた共存をデメリットからメリットに転ずる。どちらの館も、自らのアイデンティティの一部を放棄して、建設的な対話に役立てる」(「Introduction」。Museum van Hedendaagse Kunst - Gent『OPEN MIND』。April 1989)

 カタログによれば、同展は「精神医学」「アカデミー」「アート」という3つのパートから構成されている。精神医学は当然ファン・ゴッホやアウトサイダーアートに関連するのだろうが、アカデミーとは何だろう。19世紀末まで芸術界の権威としてヨーロッパに君臨したアカデミーがなぜここで登場するのか。

 その理由は後で考えることにしよう。とりあえずは、アート展としてはあまり類例を見ない、やや風変わりな組み合わせの3つのセクションが設けられたこと、そして、それらが厳格に分けられていたことを記憶しておいてほしい。ジャン=ユベール・マルタンのキュレーションでは、『大地の魔術師』にせよ『アルテンポ』にせよ『世界劇場』にせよ、古今東西の作品は等価なものとして同一平面上に、平たく言えばごっちゃ混ぜに並べられる。フートがキュレーションした『オープン・マインド』においては、異質なものは混じり合うことなく峻別して展示された。

「精神医学」「アカデミー」「アート」

 精神医学セクションには相当数のアウトサイダーアート作品が陳列された。特筆すべきは、アドルフ・ヴェルフリ財団から借り受けた大型ドローイング30点だ。ヴェルフリは19世紀末から20世紀初頭にかけて、全45巻、2万5千ページに及ぶ架空の自叙伝を書いた精神病患者。自叙伝には、ドローイングはもちろん、コラージュや自作曲の楽譜までが組み込まれている。アール・ブリュットの名付け親の(インサイダーの)画家、ジャン・デュビュッフェが「偉大なるヴェルフリ」と呼び、シュルレアリスムの創始者、アンドレ・ブルトンが「20世紀の最も重要な芸術作品のひとつ」と絶賛するアウトサイダーアートの代表的作家である。

Adolf Wölfli (1864-1930) Schähren=Hall und Schährer=Skt. Adolf=Ring,


 アカデミーのセクションは、美術館の中央ホールで展示が行われた。ギリシア・ローマ時代の彫刻の石膏模型に加え、胸像、ローレリーフ(浅浮き彫り細工)、それにペインティングとドローイングが集められた。カタログには、彫刻や絵画はヘントやブレーメンの美術館、石膏模型はリールの造形美術学校から借り出したものとの記載があり、新古典主義の彫刻家、アントニオ・カノーヴァの「三美神」像の写真も収録されている。新古典主義とは18世紀半ばから19世紀初頭にかけて流行した様式で、古典古代、特にギリシャの芸術を理想的な模範とする。彫刻においてはカノーヴァが代表的作家とされる。

Antonio Canova, The Three Graces. Location: Hermitage, St. Petersburg


 アートのセクションは、「Quadreria」(絵画ギャラリー)と「Installations」(インスタレーション)に分けられていた。前者に展示されたのは計98作家。フランシス・ベーコン、ゲオルグ・バゼリッツ、マルセル・ブロータース、マルク・シャガール、サルバドール・ダリ、ジョルジョ・デ・キリコ、ポール・デルヴォー、オットー・ディクス、ジャン・デュビュッフェ、マルセル・デュシャン、ジェームズ・アンソール、マックス・エルンスト、ヤン・ファーブル、ルーチョ・フォンタナ、アンゼルム・キーファー、ピエール・クロソウスキー、オスカー・ココシュカ、ルネ・マグリット、マン・レイ、アンドレ・マッソン、ジョアン・ミロ、アメデオ・モディリアーニ、エドヴァルド・ムンク、メレット・オッペンハイム、フランシス・ピカビア、パブロ・ピカソ、ジグマー・ポルケ、ジャクソン・ポロック、アド・ラインハルト、ロバート・ライマン、サイ・トゥオンブリー、フランツ・ウェストら、主に20世紀を代表する巨匠と、当時の中堅作家である。

 例外は、幻想的かつ奇怪な画風で知られるルネサンス期のヒエロニムス・ボス、ロマン派や写実主義の先駆者とされる19世紀前半のテオドール・ジェリコー、ベルギー象徴派の先駆者とされる19世紀のアントワーヌ・ヴィールツら、ファン・ゴッホを入れて数名にすぎない。注目すべきは、「残酷演劇」を提唱したことで知られる詩人・俳優・演劇人、アントナン・アルトーの自画像が出展されていたことだ。晩年の10年以上を精神病院で過ごし、「狂気の」という形容詞を冠せられることが多い人物であり、展覧会における役割としてはファン・ゴッホに近い。アウトサイダーとインサイダー、狂気と正気の境目において自己表現を行った芸術家という位置づけだろう。

 SMAKとヘント美術館の収蔵品からの出展は十数点と案外少ない。ほとんどが、西ヨーロッパの美術館、ギャラリー、コレクターから借りてきたものだった。絵画ギャラリーなのだから当然だが、わずかの例外を除いて、出展作のほぼすべてが絵画だった。



現代作家の「インスタレーション」

『オープン・マインド』は、アウトサイダーアートをフィーチャーした展覧会として評価されることが多い。それは事実ではあるが、フートが最も力を込めたのはアートセクションのインスタレーションのパートではないかと思う。出展したのは、フレッド・ベルフッツ、ジョナサン・ボロフスキー、ティエリー・ドゥ・コルディエ、イジー・ドコウピル、ブルース・ナウマン、ヴェットール・ピサーニ、ミケランジェロ・ピストレット、ロイデン・ラビノヴィッチ、ヤン・ヴェルクリュイス、ローレンス・ウェイナーの10名。当時30代半ばから50代半ばまでの、脂の乗り切った作家ばかりだった。

 作品はいずれも新作か2年以内につくられたもの。ピサーニに1点だけ1980年の作品があるが、ほかのアーティストの場合、この展覧会のために委嘱制作されたものも多い。確認できなかったが、ピストレットは十八番の鏡を割るパフォーマンスを行った可能性がある。ウェイナーが出展したのは同展のグラフィックデザインを利用したテキストのペインティングで、彼には珍しいことではないが、いわば「展覧会スペシフィック」な作品だった。念の為に繰り返せば、10作家の作品の括りはいずれもインスタレーション。旧式な区分である「絵画」「彫刻」とはひと味違うという印象を与えたかったのかもしれない。

 上述したフート(とフージー)の文章中にはアカデミーと精神医学への言及がない。アート史についての文章だから、アカデミーの存在には間接的に触れているといえなくもないが、精神医学やアウトサイダーアートに関する記述は一切ない。それを補うかのように、カタログにはほかにも論文が収められている。筆者名を外して題名だけを書き連ねると、精神医学については「ドラッグと芸術家」「芸術と精神医学」「創造性と分裂病」の3篇、アカデミーに関しては「アカデミー:アテナイの学堂あるいはピノッキオの庭?」の1篇。アーティストのアネミ・ファン・ケルクホーフェンが書いた「創造性と分裂病」を除くと、いずれも専門家の手になるものである。

 面白いのはアートセクションのために書かれた文章だ。「狂気とアカデミー」「脆弱性の力」「ロートレアモンとデュカス:20世紀の二分された個人への騎乗」の3篇。最後の「ロートレアモン~」は、「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い(のように美しい)」という詩句で知られ、シュルレアリスムに多大な影響を与えた詩人についてのものだが、この論文も含め、いずれもが精神医学やアカデミーのための文章と並べられていてもまったく違和感がなかっただろう。逆に言えば、この3篇こそがカタログにとって、したがって『オープン・マインド』展にとって、要となる文章である。

「狂気とアカデミー」

 とりわけ重要なのは、アートセクションの冒頭に置かれた「狂気とアカデミー」だと思う。筆者はピエール・ルイジ・タッツィ。同展の3年後にドクメンタIXのキュレトリアルチームに加わることになるキュレーターにして批評家である。フートの腹心的存在、あるいは代弁者と考えてよいだろう。タッツィは、以下のように書き起こす。

「『狂気』という長く続いてきた道と、アカデミーという新たに拓かれた小道が、ともに岐路に差し掛かったのは18世紀においてである。そのとき両者は、社会的な知的関心の枠内に正確に位置付けられるようになった。そして同時期に、アートはそれまでとは違う形で定義され、実体化され、今日に至るまで同様に理解されている」(「FOLLIA E ACCADEMIA」。『OPEN MIND』所収)

 続いてタッツィは「それまでとは違う形で定義され、実体化され」たアートとは近代美術(モダンアート)のことだと明言し、以前とはまったく異なるものだと強調する。ここで「モダンアート」という言葉が使われていることに注意してほしいが、いまは筆者の理路を辿ることを優先しよう。タッツィは次のように述べる。

「さらに言えば、方法が徹底的で根本的であるとはいえ、これは単なる変化ではない。はるかに本質的な変革である。変わったのはアートの概念であり、文化システムの総合的なフレームワークの中でアートに課された役割と機能である。図式的に言えば、産業革命の名の下に進んでいった、これと同様に徹底的な生産様式における変革に対応し、足並みを揃えたこの推移以前のアートは、それ以降の今日に至るまでのアートとはまったく異なっていたといえるだろう。形や様式においてよりも、その位置や意味や方向性において。そして、意味や方向性の変革は、アート作品におけるコンセプトや宿命の変容を含意するが、他方、作品の外観は変わらない。絵画は絵画のままであり、彫刻は彫刻である。主題に多様性がもたらされるのはもう少し後になってからのことだ」(同)

 ここまで読めば、この一文が「狂気」「アカデミー」「アート」の三題噺であるとともに、近代以前と以降とでアートが如何に変わったかを説くものであり、アートセクションに集められた98+10作家の作品こそが現代において観るべきものであると、鑑賞者に訴えかけるための文章であることがわかるだろう。

 ところで、狂気とアカデミーが岐路に差し掛かり、両者が交錯してアートの概念が変わったとき、具体的には何が起こったのか。タッツィは、そして想像するにフートも、以下のように考えている。

「アカデミーのアートはアートではないらしい。しかし、アートの価値はアカデミーが発信の任を担っている規範の根底にある。『狂気』は何ものも産まず、アートもつくらず、妄想を生じさせるのみである。だが、『狂気』による『生きた』妄想の実質のほうが、もはや存在せず過去のものと化したとおぼしきアカデミーの『死んだ』規範よりもアートの実質に近いのではないか」(同)

「さてここで、人を欺く幻灯芝居の複雑な絵柄が立ち上がる。アカデミーが『アカデミーの狂気』として、アートが『狂気のアカデミー』として、互いの衣裳を取っ替え引っ替えして変装するのである」(同)

『オープン・マインド』の副題「閉ざされた回路」は、どうやらここに由来している。閉ざされていた狂気とアカデミーの回路が開放され、両者に交流が生じたとき、「互いの衣裳を取っ替え引っ替え」した新しいタイプのアートが産声を上げたというわけだ。



モダニズムの起点はいつか?

 タッツィによれば、ルネッサンス後期の画家、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロと、新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドとの違いは、ダヴィッドとジュリオ・パオリーニやミケランジェロ・ピストレットとの違いよりもはるかに大きい。ティエポロは18世紀、ダヴィッドは18世紀後半から19世紀前半に活躍した画家であり、パオリーニとピストレットは現存する現代アーティスト。つまり、ルネッサンスと新古典主義は決定的に異なる一方、ダヴィッド作品は現代アートと大して変わらないということになる。

 前々回の拙稿に書いたことだが、フート(とタッツィ)は、『オープン・マインド』の3年後、1992年に開催されるドクメンタIXにダヴィッドの絵画を取り入れている。つまり、タッツィ論文にはその伏線という役割もあったことになる。

 だが通例、ダヴィッドのような新古典主義の作家は、まさにアカデミー美術を代表すると見なされ、ギュスターヴ・クールベのような19世紀写実主義の画家から20世紀の前衛アーティストに至るまでが批判の対象としている。以前に名前を挙げた批評家クレメント・グリーンバーグは、1939年に「自明のことだが、全てのキッチュはアカデミックである。そして逆に、アカデミックであるものは全てキッチュである。というのは、いわゆるアカデミックというものはそれだけではもはや独立した存在ではなくて、キッチュのもったいぶったお飾りとなっているからである。産業主義の方式が、手仕事を追い出している」(高藤武允訳「アヴァンギャルドとキッチュ」。『グリーンバーグ批評選集』所収)とこき下ろしている。グリーンバーグにとってのキッチュは、アート史を革新するだけの力を持たない「リアガード(後衛)」であり、軽蔑すべきものだった。

 ところがタッツィ(とフート)は、ダヴィッドを近代美術の作家、あるいはその先駆者と捉えている。ドクメンタIXでは、代表作のひとつ「マラーの死」がツヴェーレン塔での小展示に加えられた。カタログに収録された図版には、批評家クラウディア・ハーシュタットによる以下のような解説が添えられている。

Jacques-Louis David (1748?1825)  The Death of Marat.


「この文脈におけるダヴィッドの展示は、この作家が『大げさで中身に乏しく、形式的な表現に終始した、フランス絵画の偉大な古典主義者』という標準的な解釈に異を唱え、彼がモダニズムの起点のひとつであることを明らかにするためのものである」(「Collective Memory」。『DOCUMENTA IX CATALOG: Volume 1』所収)

「この文脈」とは、小展示が「集合的記憶」と題されていることを受けてのもの。ほかに、ポール・ゴーギャン、アルベルト・ジャコメッティ、ジェームズ・アンソール、バーネット・ニューマン、ヨーゼフ・ボイス、レネ・ダニエルス、ジェームズ・リー・バイヤーズの作品が展示された。ゴーギャンとアンソールは19世紀半ばに、他の作家はいずれも20世紀に生を受けている。ひとりダヴィッドだけが18世紀生まれである。



伝統的な美術館の楽しみ方

 話を1992年から1989年に戻そう。『オープン・マインド』は、SMAKとヘント美術館という「相異なる存在」を結びつける企画だった。ファン・ゴッホを境界に置き、アウトサイダーアートの傑作を並べた。「精神医学」「アカデミー」「アート」という3つのセクションを設け、展示スペースは厳格に分けた。20世紀を代表する巨匠と中堅の作品を多数展示し、当時活躍していた10作家を精選して彼らの最新作を見せた。アカデミーを(少なくともその一部を)近代美術の先駆けと位置付けた。これらは何を意味するのか。

 その答は、フート自身がヘント美術館のフージー館長と連名で書いた文章内に見出せる。ピエール・ルイジ・タッツィの息の長い悪文、もとい、アカデミックな文章とは打って変わって、一文は短く、平易で読みやすい。2人の館長はまず、ヘント美術館とSMAKの歴史から書き起こし、次に伝統的な美術館(Museum of Fine Arts = MFA)と現代美術館(Museum of Contemporary Art = MCA)の違いについて述べる。

「美術館に一度も足を運んだことのない人は、MFA(美術館)で美しいものを観たいと思うことでしょう。明らかに、そしてただちに芸術的であるとわかる芸術を。(中略)美術館に一度も足を運んだことのない人は、MCA(現代美術館)ではクレイジーなことが起こっていて、醜いものが展示されているとわかっています。MFAにいるときと同様に、自分はゲームの規則を知らず、鑑賞眼もないと薄々感じていますが、現代アートに関してはそれが欠点であると思ってはいません。次第にMCAが億劫になってきますが、それは、足下の階段が崩れ落ちるかもしれない幽霊屋敷を想い起こすからです。(中略)MFAは敷居が高く、MCAは鑑賞するのが難しいのです」(「Inleiding」。『OPEN MIND』所収)

 まったくもってそのとおり! と膝を叩く人も少なくないだろう。読者に共感を覚えさせながら、フート(とフージー)は以下のように続ける。

「美術館と美術館の真のビジターは、それとは異なる現実を見ています。MFAは美術史の複雑な綾を検証しなければならず、それは鑑賞者が部屋から部屋へと歩くことによって解き明かされるものです。ビジターが感覚的にして知的な経験をするのは歴史的に成長してきたコレクションの中においてですが、そこには起源も機能も内容も異なる美術品が含まれています。霊感と作品の出来があらゆる可能なバランスを保ち、さらに、社会的、精神的な歴史や、宗教的な信念、趣味の変化が、歴史を彩る細部とともに加わっています。一方、ビジターはそんなことをすべて忘れて、驚嘆すべき古代ギリシャの画家アペレスや、豊かな絵具や膠による純粋に造形美術的な体験を楽しむこともできます」(同)

 フート(とフージー)はここで、MFA(伝統的な美術館)の受容のされ方と楽しみ方について述べている。美術館に行くことのない、あるいは少ない人々は「美しいものが見られる場所」という漠然としたイメージを抱いているが、実際のMFAはもう少し複雑である。そこには美術史なる面倒くさいものが介在していて、もちろん無視することもできるけれど、ちょっと勉強すれば鑑賞体験はもっと豊かになるというわけだ。

現代美術館のあるべき姿

 他方、「敷居が高い」MCA(現代美術館)はどうか。少なくとも以下の文章は、フージーではなくフートが書いたものだろう。ベルギー初の現代美術館SMAKで14年間苦闘を続けてきた現役館長は、MFAとMCAを比較し、MCA=SMAKの現状とあるべき姿について率直に記している。

「MCAはMFAのような価値判断のネットワークを築き上げてはいません。何が起こっているのかに目配りしながら、ときには一方に極端に肩入れしたりもする。現状を確実に認識することは不可能なので、断片的な方法でしかアピールすることができないのです。MCAにとってもMFAにとっても、物質的に成就される何らかの魔法が本質的というのは同じなのですが」(同)

「ところが組織的な方法は正反対です。MFAにおいては、作品は敬意を払うべきものであり、中には400年以上の時を経たものもある。美術館員はできる限り裏方であろうと心がけ、客観的であろうと努めて可能な限り純粋な推論を重ね、美術品に判定を下すのです。(中略)MFAで議論に火が点くことはまずありません。美術館が引き金を引くことはないのですから。火が点くとすれば、それはビジターとビジターの観察力によって。MFAでは、作品は沈黙の内に読まれるのです」(同)

「MCAは対話に重きを置くことを選択します。関心を抱いているビジターにとってさえ敷居が高いので、対話に火が点くような状況を求めるのです。相互関係のための標準的なフレームワークというものはいまのところ存在していません。MCAはわざわざ時間を割いてアートを主題に会話を行います。アンケートや様々な調査を利用するのですが、あらゆるアイディアの源である主観的な物の見方を排除せず、美術館運営の全局面に活用します。美術館員は表に立って、作品の選択から展示までを担当します。このようなリスクをはらむ提案は不可避的にチャレンジングなものとなるので、MCAは互いの主観を大切にし、議論を始めるのです」(同)

 フートは多くのインタビューで、「美術館という概念」に大きな関心があると語っている(例えば2014年10月号エクシビジョニスト。チェルシー・ヘインズ「L'Exposition imaginaire-- Contradiction in terms?」。あるいは美術手帖1989年10月号。池田鏡瑚「オープン・マインド展:ドクメンタ9のチーフ・ディレクター、ヤン・フートは語る」など)。SMAKの初代館長に就任したのは、大学卒業後、15年間にわたって美術教師を務めた後のことで、その後もMARTa ヘルフォルトの館長職に就くなど、生涯にわたって現代アートに携わった。引用文に明らかなように、MFA(伝統的な美術館)の概念はほぼ定まっている。関心があったのは常にMCA(現代美術館)の概念だったに違いない。



近代以前と現代のバッファゾーン

 フージーと連名の文章の中で、フートはMFAとMCAの間の「バッファゾーン」(緩衝地帯)について論じている。

「(MFAとMCAという)2つのブロック間には、すでに容認されえながら危険なまでに最近の作品に近いバッファゾーンがあります。それは『近代美術(モダンアート)』のゾーンで、分類はかなり進んでいますが、現代に関する議論に加われるし加わるべきもの。この領域の最も著名な住人はピカソです。(中略)モダンアートは何がアートかについての新しい概念を形成しますが、それは多くを『真正性』という着想に負っています」(同)

 ここでフートは「何がアートかについて」、すなわちアートの概念についての関心を明らかにしている。フートの腹心のタッツィによれば、狂気とアカデミーが18世紀に交差し、位置付けられ、モダンアートが誕生した。モダンアートこそが、現代におけるアートの概念を解き明かす鍵となり得る。『オープン・マインド』はファン・ゴッホを境界に置いてアウトサイダーアートとインサイダーアートを対比させたが、実はフートは、それ以上にアカデミー以前、すなわち近代以前のアートと現代アートを対比させたかったのではないか。近代以前のアートと現代アートの境界に位置するのはモダンアートである。モダンアートの作家で最も著名なのはパブロ・ピカソである。だからファン・ゴッホに劣らず、いやもしかするとファン・ゴッホ以上に重要だったのはピカソだったのではないだろうか。

 冒頭に書いた「もうひとりの『境界』のアーティスト」とはピカソのことである。そして僕は、ヤン・フートは「縦の人」で、ジャン=ユベール・マルタンは「横の人」だったと考えている。次回はフートとマルタンの生まれ育ちやキャリアを比較しつつ、「縦」と「横」の違いについて論じたい。

小崎哲哉

最終更新:8/24(水) 15:22

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