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夏目漱石が危篤状態に!病床に横たわり生死の境をさまよう。

サライ.jp 8/25(木) 12:27配信

危篤状態の夏目漱石、病床に横たわり生死の境をさまよう。【日めくり漱石/8月25日】

今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)8月25日、漱石は伊豆・修善寺の菊屋旅館の部屋で布団の上に横たわっていた。昨日、大量の吐血をして危篤状態に陥り、そのまま床についていたのである。傍らには、妻の鏡子が付き添っている。

この日の早朝、午前5時50分に新橋停車場を出る東海道線の一番列車に、漱石の3人の娘たち、筆子、恒子、栄子の姿があった。漱石の兄・直矩、漱石の姉夫婦(高田ふさ、庄吉)、鏡子の弟・中根倫といった親戚、さらに友人で『ホトトギス』編集発行人の高浜虚子、門下生の森田草平、野上豊一郎らも同じ列車に乗っていた。三島、大仁を経由して、目指すのはもちろん修善寺。皆が皆、一様に緊張した面持ちだった。

彼らに先んじて、菊屋旅館に一番最初に到着した見舞い客は、漱石門下の安倍能成だった。能成はたまたま前日、沼津の千本松原にいたため、いち早く駆けつけることができたのである。

世の多くの女性陣と同じく、普段から占い好きで、何かとゲン担ぎなどもしたがる鏡子は、藁(わら)にでもすがりたい気持ちも手伝って、この際、ふとした思いつきで安倍能成の名前を読み替えてみることにした。

「アンバイ・ヨクナル」

確かに、そう読むこともできる。これは、きっと漱石が持ち直して回復することを意味しているに違いない。鏡子は自分自身にそう言い聞かせてみるのだった。

東京朝日新聞主筆の池辺三山と、漱石門下の野村伝四は、新橋午前8時40分発の二番列車に乗った。大磯からは学生時代の友人・大塚保治も駆けつけてくる。

昨日は一時完全に意識を失い死に瀕した漱石の容態は、危うい中にもとりあえず落ち着きを見せているようだった。少しくらいは口もきけるようになっていた。

「体も動かされず、物も食えないから、少し眠りたいんですが」

医師の森成麟造に囁くようにそう言って、目を閉じる。だが、眠りは浅く、しばらくすると目が醒めてしまうのだった。
けっして油断できる病状ではない。何が起こってもおかしくない。医師は、出血を止めるための注射を数時間おきに打ち、夜には栄養補給のために牛乳の滋養浣腸が施される。

漱石はただなされるがまま、体を横たえている。

急変がくることのないよう祈りながら、夜中も交代での付き添いが続く。皆が重苦しい空気の中で、息をつめるように漱石の容態を見守っていた。

■今日の漱石「心の言葉」
病気の時には自分が一歩現実を離れた気になる(『思い出す事など』より)

矢島裕紀彦

最終更新:8/25(木) 12:41

サライ.jp

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