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GTの監督はレース中に何してる? チームルマン脇阪寿一監督、鈴鹿1000kmを語る【SUPER GT 2016】

clicccar 8/25(木) 17:46配信

SUPER GTもいよいよ後半戦に突入し、今週末は一番の山場とも言われる鈴鹿1000kmレースが開催されます。そんな天王山の直前、チームルマンの脇阪寿一監督が編集部にいらっしゃり、緊急インタビューの運びとなりました。

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昨年、ミスターSUPER GTとして惜しまれながら選手を引退。しかしWAKO’S 4CR RC Fを走らせるチームルマンの監督として今シーズンのSUPER GTで活躍される脇阪寿一さん。監督としてのSUPER GT、そして鈴鹿1000kmの意気込みなどを伺いました。



約一時間に及ぶロングインタビュー、聞き手はclicccarではF1女子、ルマン女子として活躍し、次はSUPER GT女子の称号を狙っ ているとうわさの島田有理が担当します。



島田有理(S)
鈴鹿1000kmのお話を伺う前に、第4戦SUGOでのポールポジションを取りましたが、ご感想は?

脇阪寿一監督(以下W)
選手だった自分ではポールポジションというのは、決勝レースに際してのうれしいセレモニー。決勝に対して一番有利な グリッドを手に入れながら、ファンの方やメディアの方々に取り上げてもらえるというイメージでしかなかったんです。今のチームルマンはここ数年ちょっと低迷してるんですね。僕がいたころのチームルマンはすごく成績がよくて輝いてい たので、チームの社長から「昔のチームルマンを取り戻してくれ」って言われて監督になったんですけど、昔のルマンを そのまま再現するのではなく、今のSUPER GTに合ったチームの大改造を自分なりに考えてやってみて、やれることってす ごく限られますけど、チームのみんなが一生懸命やりたいと思う環境づくり、すべての人間が同じ方向を向いての目的意 識、メカニックだろうがドライバーだろうがみんなの頭の中には同じクルマが走っているというのを今年のテーマにして いきたいなと思って、それがやっと実を結んだということで、僕にとってはすごく大きなごほうびをもらった気がします 。実際、走った大嶋和也と山田エンジニアの功績はすごく大きい。



S-ポールポジションのあとはお祝いなどはされたのですか?

W-予選日の夜は、みんなで気持ちよくご飯を食べに行きましたよ。それとレースに対して大嶋がSUGOに入る前から「やれそうな気がする」ってずっと言っていたので、僕はその気持ちをどれだけ長続きさせるか、というところで自分の中で戦っ ていました。予選用にもっと曲がるクルマを作りたいと選手からもメカニックからも言われたのですが、曲がるクルマで はなくて選手が、大嶋が曲げるクルマを作ろうって決断したんです。SUGOの予選では「飛び出してもいいから」と言ったりして、もうコースアウトぎりぎりのところ まで大島が攻めていっても。SUGOでコースアウトしたらクルマなんて木端微塵なんですけど、まぁそうなったら大嶋の体も心配ですが、そうやって攻めて行くことでタイムを出して、それが大嶋和也ここにありというのがファンの方々にも伝わってのポールポジションですから、いろんな意味ですごいポールでしたね。



S-次回は鈴鹿1000kmですが、選手として参戦されたときはいかがでしたか?

W-鈴鹿1000kmは本当に大変なレースなんですよ。いっぱい乗らないといけないし(笑)。昔はクルマが壊れるからいたわりながらレースしていましたが、技術の進歩で壊れなくなって、そうなるとスピードも緩められない。暑い中、大の大人がよってたかってエンジンかけてすごいスピードで走らなきゃいけない。でも弱音を吐いたらそこで負け。そこに自分が出ていたって考えると、本当に自分はがんばっていたな、って思いますけど。
また鈴鹿1000kmは伝統のあるレースで、そして1000kmってほかのレースの3倍以上のレース距離だから、それこそSUGOのレースが終わった瞬間に「SUPER GTって本当に面白いね」って言ったんだけど、1000kmはその3倍もいや4倍もドラマチックで面白い。



S-1000kmの長いレースだとドライバーさんは交代などがありますけど、監督さんは出ずっぱりですよね?

W-いや、僕の場合、自由なんで(笑)。SUGOの時なんか、あんまりピットウォールには行ってないんですよ、暑過ぎたんで(笑)。

S-えーーーーーーっ!



W-とにかく、僕はピットウォールにいることが仕事ではないんです。どこにいてもいいの。それこそトイレにいてもいいんです。僕がチームに求められていることをすればいいの。でも、ドライバーは乗らなきゃいけない。乗ってる最中にお腹痛くなったり、大変なことに僕は鈴鹿でも一回そうなりましたけど、そうなったらダメなんだけど。そういう部分では僕はすごく楽。だけど僕の仕事は全員の矢印を全て同じ方向に向けるということで、これがすごく難しい。

S-監督さんのイメージってピットウォールにずっといるイメージがありましたけど。





W-SUGOもそうだし、その前の富士もあそこ(ピットウォール)にはほとんどいない。僕があそこにいるときはJ-SportsやGT+なんかのテレビの人が「行って欲しいなぁ」って顔をしているときだけだから(笑)。ホントに。ピットにクルマが入ってくるときはとなりのピット行って人が出てこないように周りの交通整理とかに行くし。邪魔だったらオフィシャルもどいていただいたり。
ピットウォールとかに腕組んでふんぞり返っている監督いるでしょ、高木虎之助とか(笑)。でも、僕の仕事はそういうことじゃないから。まぁ、チームによってそれぞれだけど。

W-それに監督ってSUPER GTの全てを見ることができるんで、本当に面白い。僕自身もSUPER GTのファンなんだけど、普通のお客さんは僕が知ってること、僕が考えてることをほとんど知らないでしょ。親子3代で来てくれる方もいるけど、お爺ちゃんはサーキットに来てレースが見れたかどうか、お父さんはサーキットでレース見てから家で録画が見れる。そのお父さんも今ではスマホとかでラップタイム見ながらレース見れるわけでしょ。で、その子供たちがそれくらいの歳になるともっといっぱい情報が入ってくる道具を使いながらレース観戦できるわけ。そうなってきてもまだまだ提供できる情報やサービスがあるよっていうところが、SUPER GTって未来に対して魅力的かなっと思う。

S-そんな情報、今ここでちょっと教えてもらえませんか?

W-えっこれ(今回の記事)何文字くらいある?5万文字くらいでもサワリも出せないなぁ(笑)。それは置いといて、その未来に向かって進んでいるだけでなく、鈴鹿1000kmみたいに45回も続く伝統があったりする。それも紙の上の歴史じゃなしに、その存在を感じていけるって言うのが素晴らしいことなんです。



S-私はF1をよく見に行くんですけど、F1には無いSUPER GTの魅力って何ですか?

W-F1、面白くないでしょ(笑)。F1は日本では年に一回しかない。でもSUPER GTは海外も含めれば年に8回ある。日本人は新しもの好きで、熱しやすく冷めやすい国民性じゃないですか。その日本人が毎回すごい人数で観に来てくれる。F1は本当に楽しもうと思ったらタキシード着て観に行ける権力が必要だけど、SUPER GTはそんなことは無い。
それに感情移入しやすい。だってプリウスがフェラーリ抜いちゃうのなんて世界に無いでしょ。プリウスのオーナーさんにしてみれば腕上げてオーッってなっちゃうじゃないですか。そういう、観に来る人がいろんな感情移入できるのがSUPER GTの魅力ですね。
レース自体、ドライバー、チーム、メーカー、レースクイーン、それぞれのファン、関係者、お客さんが一緒くたになってSUPER GTなんです。サーキットなんてレースが無いときに行ったらただの殺風景な場所ですよ。そこにSUPER GTっていう村ができるんです。お祭なんてものじゃなくて、村。



S-鈴鹿1000km、監督としての意気込みを教えてください。

W-1000kmをミス無く、チームのみんなが力を発揮できるレースにしたいな、と。

S-チームの雰囲気はどうでしょう。

W-チームの雰囲気は良くなってきていると思うよ。人には器量ってものがあってその器量に合せた仕事をしてもらう。120%の力を発揮しても1回だけなら上手く行くかもしれないけど、8戦とかだと失敗するかもしれない。今は80%で失敗しないならそれを90%でも失敗しないようにする。メンタルも含めて。
1000kmレースだとタイヤ交換が5回くらいになる。NISMOだと1回で2秒縮めて全部で10秒を得するぞっ、て考えるかもしれないけど、僕らはロスするかもしれないって考える。だけどそこを早くしてやろうとすると失敗するかもしれないし、失敗したら終わりだから、そこを上手く考えてやって行きたいですね。

S-今日は長い時間お話いただいて、本当にありがとうございました。スーパーGTを見に行きたくなりました!



約一時間に及ぶロングインタビューでしたが、その全てを掲載するにはあまりにも多い情報量。今回は鈴鹿1000kmに関連 する部分のみを抜粋させていただきましたが、それ以外の部分も非常に興味深く面白い内容でした。その部分は改めて紹介させていただきたいと考えております。

(聞き手:島田有理 写真・まとめ:松永和浩)

最終更新:8/25(木) 17:46

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