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死んでもいいと思うまで「ダイエット」する女性がいるのはなぜか?

BEST TIMES 8/26(金) 12:00配信

  

 

死に近い場所で見える風景 

 

 本題に入る前に、ある人の話をします。これまで30年近くものあいだに、数え切れないほど遭遇してきた瘦せ姫のなかでも、一番というほど印象に残っている人です。ここでは「Yさん」と呼ぶことにしましょう。

 交流した期間は5ヶ月ほどの短いものでしたが、Yさんは心に残る言葉を数多く残してくれました。そのなかのひとつに、

「できるだけ死に近い場所で生きていたい」

 というものがあります。そのために「不健康を維持する」のだということも言っていました。

 当時、彼女は大学生。数学を専攻するかたわら、アルバイト的に文章を書く仕事も始めていて、想いを紡ぐ言葉ひとつひとつは、彼女の豊かな才能を感じさせたものです。その一方で、深い厭世観(えんせいかん)を抱き、若くして自ら命を絶ったアイドルの話をしたときなど、

「18歳で人生のときを止めることができたことをうらやましく思います。ものすごく不謹慎ですけど」

 という感想を漏らしていました。人一倍、死への憧れが強かったわけです。

 ただ、ここで「人一倍」という表現をしたのは、この「死への憧れ」が人類共通のものだからでもあります。心理学者の植木理恵はあるテレビ番組のなかで、こう言いました。

「人はみな死にたいんです。でも、めちゃめちゃ生きたくもある。死にたいけど生きたい、という問題を解決するのは、死ぬことなんです」(註1)

 この発言に出会ったとき、目からウロコという気分になったものです。というのも、人がみな「死にたい」と「生きたい」のあいだでせめぎあっているのだとすれば「自殺」というものも誰にでも起こりうることなのではと。すなわち、いくら「生きたい」と願っていても「死にたい」がそれを上回ってしまえば、自殺するよりほかありません。日頃から、自殺もまた病死のようなものであり、人の最期のひとつのかたちとして肯定されてほしいと考える者としては、大きな援軍を得たような思いがしました。

 そして、摂食障害です。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。食事を制限したり、排出したりして、どんどん瘦せていく、あるいは、瘦せすぎで居続けようとする場合はもとより、たとえ瘦せていなくても、嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。

 しかし、こんな見方もできます。瘦せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。今すぐにでも死んでしまいたいほど、つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために「瘦せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。

 たとえば、自殺をしたい人のなかには、致死量の睡眠薬などを常に持ち歩くことで「死にたくなったらいつでも死ねる」という安心感を得て、そのおかげで自殺をしないで済んでいるような人がいます。この場合、死にいたる毒が「お守り」代わりになっているわけです。

 摂食障害の人のなかにも「瘦せること」で安心感を得られるのだという人がいます。その安心感には「だんだん死に近づいている」という気分が含まれていることも少なくないようですし、また、だからこそ、Yさんも「できるだけ死に近い場所で生きていたい」と願ったのでしょう。

 もっとも「瘦せること」で得られる安心感はそれだけではありません。生きづらさのもとになっている勉強や仕事、友情、恋愛、家庭といったもののストレスから逃れるためにも、それはときに有効だからです。

 Yさんの場合も、そういう側面がありました。彼女が摂食障害を発症したのは高校時代の後半。制限型(『瘦せ姫 生きづらさの果てに』本文中22頁参照)の拒食症になり、卒業の時点で体重が28キロ(身長は156センチ)に落ちたため、進学した大学を1年間休学することとなります。

 その背景には、両親の不仲という問題が存在したようです。以前から別居状態だったものの、Yさんの高校卒業を機に、離婚することに。つまり、彼女は家族が完全に崩壊してしまうという不安から発症し、一時的にせよ、自らの病気に家族の関心を引きつけることでせめてもの安心を得ようとしたとも考えられます。

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最終更新:8/31(水) 14:24

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