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新海誠、『君の名は。』で新たなステージへ 過去作との共通点と相違点から読み解く

リアルサウンド 8/26(金) 18:20配信

 新海誠は熱狂的な支持者がいる一方、かねてからポスト宮崎駿のひとりとして名前が挙げられていたものの、アニメファンの枠を超えて認知されているとは言い難かった。宮崎駿や細田守のような国民的アニメ作家というよりは、むしろ狭く深く支持されるタイプの作家だったと言える。

 新海自身、前作『言の葉の庭』公開時、インタビューでこのように語っている。

「アニメは観ない」と言っているような、横にいる友だちにも共感を持って観てもらいたいという気持ちがずっとあったんです。それで、ずっと遠くまで届かせたいと思って作り続けてきたんですけど、振り返ってみると、技術的には毎回、どこか届いていないという気持ちがあったんです。(『アニメスタイル004』P64)

 本人はメジャー志向な面を持ちながら、コアなファンの枠を超えてなかなか届かない。それを打破すべく作風を変えて臨んだ『星を追う子ども』では、新たなファン層を獲得したものの、「これは少なくとも自分が観たい新海作品ではない」(『アニメスタイル004』P64)ともたくさん言われたという。

 幅広い観客に訴えかけるためにメジャー路線を目指して、持ち味を殺してしまうというのはよく聞く話だ。しかしその苦しい二者択一を突き破ったものだけが、宮崎駿や細田守のような国民的作家になり得る。では、新海誠はそのステージに立つことができないのだろうか。

 否。最新作『君の名は。』で新海誠はそのステージに足をかけた。新海誠らしさ全開のまま、多くの観客を魅了できる窓口の広さも備えた作品を遂に作り上げた。

■随所に見られる過去作のエッセンス

 本作は、過去の新海誠作品のエッセンスが数多く詰まっている。本作の主人公、瀧と三葉は、夢の中で入れ替わり、直接会えず、連絡手段は携帯電話に残すメモのみ。携帯電話だけで繋がる高校生男女というアイデアは、新海誠がひとりで作り上げた短編映画『ほしのこえ』でも採用されていた。また、夢で入れ替わり、もうひとつの現実を体験するというアイデアも『雲のむこう、約束の場所』の亜流と言えよう。『雲の向こう~』では、こうであったかもしれない世界(平行世界)を夢の中で見る、というエピソードが出てくるが、主人公の浩紀はヒロイン佐由理の夢を見、その夢を現実よりも現実らしく感じたことによって、行方不明となっていた佐由理を発見する手がかりになっている。また、本作の舞台は東京と日本の山間の田舎町だが、田舎の少女と都会の少年が出会うというプロットは、新海誠が手がけたZ会のCM『クロスロード』がベースとなっていると、新海誠自身が語っている。(『田中将賀ぴあ』P9)

 そして、『秒速5センチメートル』と『言の葉の庭』では、東京都心を美しく描いていたが、今回の東京はさらに光の描き方が洗練されて美しさを増しているし、見覚えのある構図を見つけてファンはニヤリとできるだろう。例えば、以下の予告の、桜の舞う東京を俯瞰で描いたラストカットで『秒速5センチメートル』のタイトルコールのカットを思い出す人もいるはずだ。ラストカット前の、三葉が彗星を見上げるカットも『秒速5センチメートル』第2話「コスモナウト」の、打ち上げられる人工衛星を見上げる主人公たちの構図によく似ている。

 新海作品に欠かせない要素として常に登場する、雨、桜、電車や駅、空を舞う鳥、縦に伸びる太陽の光やなどで“感情を語る”背景描写も健在だ。

 新海誠は『ほしのこえ』以外では作画を自ら手がけていないが、美術・撮影には自らも参加することが多い。『言の葉の庭』などは顕著だが、新海誠は背景描写に人物の心情を語らせる手法を多く採用する。例えば、『言の葉の庭』では本音を言わない二人の心情を、代わりに雨の激しさの緩急によって絶妙に表現していたし、『雲のむこう、約束の場所』では人物の孤独を感じる時は鳥が1羽で飛び、心が寄り添う場面では複数羽の鳥を飛ばしたりといった具合だ。本作でもそうした描写は数多く見られる。

■田中将賀と安藤雅司がもたらしたもの

 本作は新海誠らしさが溢れ出た作品だが、新たな息吹を吹き込んだキャラクターデザインの田中将賀と作画監督の安藤雅司の貢献は見逃せない。

 新海誠は好きなアニメ作品に『とらドラ!』を挙げている。同作のキャラクターデザイン・総作画監督の田中将賀とはいつか仕事としたいと考えていたという。この「とらドラ!」との出会いがなければ、本作によって新海誠が新たなステージに立つことはなかったかもしれない。新海誠は田中将賀の絵を「新しくて、どこかで見た馴染みのある、温かみのある絵」(『田中将賀ぴあ』P6)と評している。また、アニメスタイル編集長の小黒祐一郎は、「コアユーザーが好むキャッチーさと、一般的な視聴者が受け入れてくれるメジャーさを両立させて」いる絵であり、日常描写における喜怒哀楽の多彩さに田中の強みがあるとする。(『田中将賀ぴあ』P56)

 確かに本作は新海誠の過去作と比べてキャラクターの表情が圧倒的に多彩になっている。静かな芝居の中で背景に情感を託して描くことを得意としていた新海誠の個性に、キャッチーさとメジャーさを併せ持つ表情豊かな田中のキャラクターが加わったことによって、表現の幅が大きく拡がった。

 そして、今回作画監督を務めた安藤雅司(『千と千尋の神隠し』『パプリカ』の作画監督)の貢献度も非常に大きいだろう。『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』の作画監督を務めた安藤雅司は、沖浦啓之に「リアルな中にもソフトな感じがある」絵だと評されているが(ちなみに沖浦啓之も本作に参加している)、これは長年、新海誠が感じてきた日本アニメの特徴と重なる。

 新海誠は『赤毛のアン』を見た幼稚園の頃、すでにキャラと背景の質感が違うものが両立していることを不思議に感じていたそうだ。近年の日本のアニメの背景は実車と見紛うほど精緻に描かれているものもあるが、そのリアルな背景にデフォルメされたアニメキャラが動く独特なバランスが、日本アニメ全体の特徴となっている。

 『赤毛のアン』は、監督を巨匠・高畑勲、場面設定を宮崎駿、キャラクターデザインと作画監督を安藤雅司の師匠・近藤喜文が務めた。新海誠はスタジオジブリにも大きな影響を受けたとよく語っているが、そのジブリ的センスを、安藤雅司の参加によって自分の作品世界に取り込むことに成功した。

 それは、『星を追う子ども』のような、ジブリを意識しすぎて自分の個性を封印することとは違い、自らの得意とする世界観に、ジブリが作り上げてきた(あるいはジブリ以前から受け継がれてきた)日本アニメ本流のエッセンスを、違和感なく自分にものにするということだ。止まった絵でも何かを語れるのは新海誠の強みでもあったが、本作では、その個性に加えて、躍動するキャラクターによっても物語が進む。新海ファンには馴染みある感覚と新鮮さが違和感なく同居できることを示した点は、本作最大の収穫だろう。

■現代日本を意識した内容

 これまでの新海作品には、現代を舞台にしていても、同時代を生きる観客に向けた明確なメッセージを持った作品はなかった。しかし、本作は明確に現代社会に向けて作られており、2010年代を生きる日本人にとっては切実に響く何かがある。そんな力強いテーマを掲げることができるようになったのも作家としての大きな成長を感じさせる。

 紛れもなく新海誠の最高傑作だし、川村元気プロデューサーが製作発表会見の折にも意識していたように、宮崎駿と細田守のステージに、新海誠が到達しうる可能性を示した記念碑的作品だ。

杉本穂高

最終更新:8/26(金) 18:20

リアルサウンド

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