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「パナマ文書」を最初に受け取ったドイツ人記者の手記にみる、「暴露の世紀」の到来 - 土屋大洋 サイバーセキュリティと国際政治

ニューズウィーク日本版 8/26(金) 16:30配信

<パナマにある法律事務所から、世界の企業や個人によるタックスヘイブンの利用実態が記載された文書が流出し、世界に衝撃を与えた。この「パナマ文書」を最初に受け取ったドイツのジャーナリストによる手記が翻訳刊行された>

 今年4月3日、米国ワシントンDCに本部を置く国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が世界各国で一斉に「パナマ文書」についての報道を開始した。世界各国の現職あるいは引退した政治指導者たちやその親族、映画スター、スポーツ選手、富裕層、そして犯罪者が海外の租税回避地(タックスヘイブン)に無数のペーパーカンパニーを設立している実態を暴き出した。

【参考記事】世紀のリーク「パナマ文書」の衝撃と波紋

 パナマ文書は、中米パナマにあるモサック=フォンセカという法律事務所から流出した内部文書で、ICIJに参加する80カ国、400名以上のジャーナリストたちが数カ月かけて分析し、そのショッキングな内容を報じた。

 最初にデータを受け取ったのは、ドイツの南ドイツ新聞の記者バスティアン・オーバーマイヤーだった。彼は家族との休暇の最中、「データに興味はあるか」という電子メールを受け取る。それが史上最大の情報漏洩の始まりだった。彼は、同じ新聞社で働くが家族関係のないフレデリック・オーバーマイヤーとともにこのデータの分析を始める。通称「オーバーマイヤー・ブラザーズ」である(二人の姓のスペルはObermayerとObermaierで異なる)。この二人による当事者の手記『パナマ文書』の日本語訳が発売になった。

データ・ジャーナリズム史上最大のリーク

 データの漏洩者は未だに明らかにされていない。漏洩者は「ジョン・ドゥ」と名乗った。これは裁判などで身元が明らかになっては困る人物、あるいは、どこかで発見された身元不明の死体に使われる名前で、日本語では「名無しの権兵衛」にあたる。

 ジョン・ドゥは少しずつデータをバスティアン・オーバーマイヤーに送ってきた。その方法は本の中で明示されていないが、おそらくは暗号化・匿名化されたデジタル通信だろう。最終的にはそのデータは2.6テラバイト(2,600ギガバイト)になった。私がこの原稿を書くために使っているパソコンは500ギガバイトのハードディスクを積んでいる。その5.2倍の量のデータ(保存された電子メール、PDF、ワード、エクセルなどの電子ファイル)が密かに届けられた。

 ウィキリークスが公表した米国政府の公電のサイズは1.7ギガバイトに過ぎない。エドワード・スノーデンが米国国家安全保障局(NSA)から持ち出したデータ量は定かではないが、おそらく1台のパソコンに入りきるサイズである。スノーデンはパナマ文書について「データ・ジャーナリズム史上最大のリーク」と言っている。

 私は最初にパナマ文書のニュースを聞いたとき、サイバー攻撃ないしサイバーエスピオナージによってデータが漏洩したのかと考えた。かつて中国が、米国の軍事データ50テラバイト(50,000ギガバイト:私のパソコン100台分)を盗んだとされた事件があった。にわかには信じがたい数字だが、パナマ文書の2.6テラバイトも1回のダウンロードで引き出すには時間がかかりすぎるだろう。きちんとしたセキュリティ・システムが入っていれば警報が出るレベルである。しかし、『パナマ文書』を読むと、データは長期にわたって何度も送られてきたことが分かる。

 そして、それはジョン・ドゥがモサック=フォンセカの内部データに怪しまれずに何度もアクセスできるということを意味しているのかもしれない。データは1970年代のものから最新のものまであったという。つまり、インサイダーによる漏洩が疑わしい。

 ジョン・ドゥは、オーバーマイヤーとのやりとりの中で「身元が明らかになれば、私の命は危険にさらされる」とも述べている。それなのになぜするのかと聞かれると、「この資料について報道がなされ、この犯罪が公になって欲しいのだ」と答えている。ジョン・ドゥはデータの対価も求めてはいない。



モサック=フォンセカとは

 モサック=フォンセカというパナマの法律事務所は、その取り扱い規模に比して小さなビルに入っており、裏通りに面しているらしい。モサック=フォンセカはパナマに本拠を置く唯一のペーパーカンパニー・プロバイダーではなく、最大のライバルであるモルガン&モルガンなど、いくつかあるという。モサック=フォンセカという名前は、二人の創設者、ユルゲン・モサックというドイツ人と、ラモン・フォンセカというパナマ人弁護士に由来する。二人の事務所が1986年に合併してモサック=フォンセカができている。ユルゲン・モサックがドイツのバイエルン州生まれのドイツ人であることが、南ドイツ新聞が選ばれた理由の一つだろう。

 モサックは若くしてパナマにやって来て、30歳で法律事務所を立ち上げ、頭角を現した。もう一方のラモン・フォンセカは、パナマ大統領の顧問であり、内閣にポストを持ち、政権与党の代表代行だという。かなり前からこの事務所には悪い噂が立っているが、裁判で負けたことはないらしい。無数のペーパーカンパニーの設立と運営に携わっており、さまざまな疑惑がこの事務所の壁で閉ざされていた。

 漏洩されたデータによると、モサック=フォンセカの2013年度の売り上げは4,260万ドル(約42億6,000万円)で、従業員の総数は588人(342人がパナマ、140人がアジア、40人が英国領ヴァージン諸島)である。しかし、関連会社や子会社が複雑怪奇なネットワークを形成しているようで、実像は見えない。

 モサック=フォンセカは、顧客の要望に応じてペーパーカンパニーを斡旋し、それに「名義上の取締役」を置く。本当の会社の持ち主、つまり資産の持ち主は分からないように細工される。名目上の取締役は、本当の持ち主の意のままに書類にサインするだけで、実質的な権限は何もない。モサック=フォンセカが使っている名義上の取締役のひとりは、パナマだけで実に2万5,000社の現/元取締役としてデータに現れているという。しかし、この「名義貸しの女王」は英語もほとんど話せない人で、パナマの貧困地区に住み、ある時期の月給は400ドル(約40,000円)しかなかった。

米国内にもタックスヘイブン

 すでに報道されているように、パナマ文書にはたくさんの政治家や有名人が出てきたが、アジアでは中国が最も多いようだ。『パナマ文書』では中国についてひとつの章が割かれている。しかし、中国人の名前がアルファベットになってしまうと特定が難しい(王という姓を持つ中国人の数だけでドイツの総人口を上回るらしい)。こうした不正の暴露に協力できるジャーナリストが中国にも香港にもほとんどいないため、その解明には他国より時間がかかっているようだが、少なくとも習近平国家主席の親族が海外にペーパーカンパニーを所持し、資産を隠しているのではないかと疑われている。

 米国人や米国企業があまりパナマ文書に登場しないこともあって、このデータ漏洩は米国の陰謀だとする主張もある。特に、側近の名前が挙がったロシアのウラジミール・プーチン大統領は米国のインテリジェンス機関の関与について発言している。米国陰謀論の真相は分からないが、米国は国内にワイオミング州、ネバダ州、デラウエア州などのタックスヘイブンを持っている。デラウエア州ウィルミントンのノース・オレンジ・ストリート1209番地は20万のペーパーカンパニーの所在地になっているという。国内(オンショア)にタックスヘイブンがあるため、ヨーロッパ諸国と比べて、海外(オフショア)のタックスヘイブンに出て行くインセンティブが弱い。

【参考記事】世界最悪のタックスヘイブンはアメリカにある

 さらに言えば、2001年の対米同時多発テロ(9.11)以降、米国政府はテロ資金の洗い出しのために金融規制を厳しくしており、簡単に租税回避や脱税ができなくなっている。麻薬取引やマネーロンダリング対策も厳しくなってきている。経済制裁の対象者や対象国との取引も厳しく規制されている。特に今はいわゆる「イスラム国」と関連する個人や団体との取引が厳しくなっている。



暴露の世紀

 パナマ文書には日本についても個人名や社名がいくつか上がっているが、ビッグスキャンダルには今のところ発展していない。『パナマ文書』でも「ヤクザ」という一言が出てくるだけで、日本への言及はない。中国名と同じようにアルファベットの日本名が欧米の記者には分かりにくいということもあるのかもしれない。

【参考記事】パナマ文書問題、日本の資産家は本当に税金逃れをしているのか?

 しかし、日本もすでに金融取引の規制を強化しつつある。G8やG20の場でも関連する合意がなされており、日本国内でも口座開設手続きが厳しくなり、多額の取引は監視対象になっている。海外に一定額以上の資産を持つ人は申告が義務化された。

 何かと情報漏洩が懸念されるマイナンバーも、実はこうした世界的な動きと連動してくる。日本からも多額の資金がオフショアに流れていると見られているが、それを把握することで公平な税負担を可能にするためにマイナンバーは使われるようになる。各国と資金取引に関する状況を共有し、匿名によるペーパーカンパニーを各国が規制していけば、パナマ文書に現れたような悪賢い取引はなくせるとオーバーマイヤー・ブラザーズは主張している。

 アフリカといえば我々には貧しいイメージが伴うだろう。しかし、本来は天然資源に溢れた土地である。問題は、その資源が不当に搾取されており、人々が共有すべき富が一部の人たちに独占され、海外に流出していることである。モサック=フォンセカのようなオフショア・ペーパーカンパニー・プロバイダーが、顧客の秘密厳守の名の下に、それを助長している。

 しかし、オーバーマイヤー・ブラザーズは「どこかで秘密のビジネスを行いデジタルの痕跡を残している者は、今日もはや枕を高くして眠ることなどできない」という。「このデジタル社会においては、痕跡を残さずに何かをするなどということは幻想にすぎない」からである。

 オフショア・ペーパーカンパニー・プロバイダーの仕事もフルにデジタル化されている。依頼人のパスポートがデジタルスキャンされ保存されていることもある。依頼人とのやりとりは秘密の電子メールシステムで行われる。しかし、デジタルであれば、それはずっと容易に漏洩される。今後もいろいろなところから不正を暴く漏洩が行われるようになるだろう。暴露の世紀が始まっている。

土屋大洋

最終更新:8/26(金) 16:30

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