ここから本文です

誘拐事件を繰り返し裕福な生活をしていた、アルゼンチン家族の闇 - 大場正明 映画の境界線

ニューズウィーク日本版 8/26(金) 16:20配信

<アルゼンチンが軍事独裁から民主制へと移行していく80年代前半、誘拐事件を繰り返し、身代金で裕福な生活をおくっていた家族の信じがたい実話>

80年代前半、誘拐によって豊かな生活をしてたいた家族の実話

 ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝いたアルゼンチンの異才パブロ・トラペロ監督の『エル・クラン』は、普通の中流に見えた家族が、実は誘拐・殺人によって豊かな生活を維持していたという信じがたい実話に基づいている。

 物語は、アルゼンチンが軍事独裁から民主制へと移行していく80年代前半を背景にしている。軍事政権の時代に国家情報局で働いていたアルキメデス・プッチオは、そんな社会の変化を受け入れようとはせず、家族を巻き込み、軍事政権がやってきたことを金目当てに繰り返していく。

 この映画でまず印象に残るのは、事件に対するトラペロの視点が反映された独特の構成だ。彼は時間軸を巧みに操り、すでに民主制に移行した時点からドラマをスタートさせる。最初に、軍事政権の後を受けて大統領になったラウル・アルフォンシンが、行方不明者に関する国家委員会の活動の成果を称えるスピーチを記録した映像が挿入され、その後にドラマの終盤の一部、主人公たちの家に集団が突入する場面が映し出される。

 1976年から83年に至る軍事政権下では、左翼テロ鎮圧を口実として、労働組合員や学生などの市民が激しい弾圧にさらされ、3万人が拷問・殺害され、行方不明者となったとされる。アルフォンシン大統領のスピーチは、そんな軍事政権が犯した罪が明らかにされ、その問題にひとつの区切りがつけられたことを意味する。一方、そのスピーチの後に映し出されたドラマの断片は、誘拐によって行方不明になった人物を捜索する警官隊が突入する場面であったことが次第に明らかになる。

 このふたつの行方不明者の結びつきには皮肉を感じるが、物語が展開していくとそこにさらに深い意味が込められていることがわかる。

民主制に移行して、誘拐ビジネスが傾く

 物語はそんな導入部から軍事政権末期の82年にさかのぼり、大統領レオポルド・ガルチェリがフォークランド紛争で戦った兵士を称えるスピーチの映像が挿入される。この紛争の敗北は軍事政権に打撃を与えた。トラペロは、主人公アルキメデスが誘拐に手を染める理由を明確には描かないが、想像はできる。テレビで大統領のスピーチを見て、軍事政権も長くはないと踏んだ彼は、自分と家族を守るために手を打つのだ。彼は、金持ちの子息を誘拐し、左翼ゲリラを名乗って身代金を要求する。そして金を得たら、証人である人質は消してしまう。

 そんな誘拐ビジネスは軌道に乗るかに見えるが、83年に民主制に移行したことで、計画が狂いだす。アルキメデスは、いま弱みがあるのは軍人だから、軍人の関係者を狙えという元同僚の助言に従う。だが、立場が弱くなった軍人にはどこからでも圧力がかかる。そこで、軍事政権時代に多くの市民を行方不明者にしてきた軍人が、逆に行方不明者探しに奔走し、アルキメデスを追いつめていくことになる。

 しかしこの映画の見所はそんな構成だけではない。さらに興味深いのが、主人公一家のイメージだ。日常の彼らの姿は、とても犯罪者には見えない。アルキメデスは家族想いの父親で、母親は働き者、誘拐に加担する長男アレハンドロはラグビーで活躍するスター選手、弟や妹も素直で、家事を手伝い、お互いに助け合う。

 だからこそ、シュールなドラマも生まれる。たとえば、アルキメデスが皿に持った肉料理を2階の奥の部屋まで運んでいく場面だ。疲れている母親をいたわり、息子や娘と短く言葉を交わす彼はよき父親のように見える。ところが、奥の部屋の扉を開けると、そこには若者が監禁され、恐怖のあまり錯乱しそうになっている。



軍事政権の二面性が反映された家族

 そんな二面性は軍事政権と無関係ではない。この軍事政権を検証した歴史学者デヴィッド・M・K・シェイニンの『Consent of the Damned: Ordinary Argentinians in the Dirty War』のなかに、二面性に関わる分析がある。軍事政権は弾圧を隠蔽し、軍のイデオロギーを大衆文化に反映することで、国民に植えつけていった。軍が強い関心を持ったのはスポーツで、テニス・プレイヤーのギリェルモ・ビラスとF1ドライバーのカルロス・ロイテマンが当時の国家を象徴するアイコンに祭り上げられた。

 なかでも理想的だったのが、ロイテマンだった。軍が喧伝しようとしたのは、性別による役割分担が明確な伝統的な家族の価値や道徳であり、美しい妻とふたりの子供がいて、酒もタバコもやらず、スキャンダルもなく、家族想いの父親だったロイテマンは、理想を体現していた。軍はメディアを利用してそんなイメージを前面に押しだし、その陰で激しい弾圧を行っていた。

 この映画の主人公一家には、そんな軍事政権の二面性が反映されている。ただし、一家は、母親が教師として働いているなど、理想に届いてはいない。だから、アルキメデスは、自分たちよりも裕福な家族に怒りの感情を向ける。

 さらに、この一家は誘拐をめぐって必ずしも一枚岩になっているわけでもない。注目したいのは、長男アレハンドロを誘拐ビジネスに巻き込んだアルキメデスが、標的としてその息子の友人を選ぶことだ。軍事政権の申し子であるこの父親は、息子が二度と後戻りできないように彼の友人を選ぶ。一線を越えてしまえば、自分に絶対服従すると考えているのだ。一方、母親の行動も見逃せない。彼女は、アレハンドロがもはや重圧に耐えられないと見るや、家を離れている次男を呼び戻すよう彼に指示する。この母親は、女性として軍事主義を補完する役割を果たしているといえる。

 パブロ・トラペロ監督はこの映画で、単なる誘拐ビジネスではなく、軍事政権と家族の関係を多面的にとらえ、想像力を刺激するブラック・コメディに仕立て上げている。

《参照文献》
『Consent of the Damned: Ordinary Argentinians in the Dirty War』David M. K. Sheinin(University Press of Florida, 2012)



○『エル・クラン』
監督:パブロ・トラペロ
公開:9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
(C)2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO

大場正明

最終更新:8/26(金) 16:20

ニューズウィーク日本版

記事提供社からのご案内(外部サイト)

ニューズウィーク日本版

株式会社CCCメディアハウス

2016-12・13号
12/ 6発売

460円(税込)

なぜ今? 首相主導の働き方改革