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秘密を抱えた“家族”の3冊 山本文緒『なぎさ』ほか

Book Bang 8/27(土) 8:00配信

 山本文緒の『なぎさ』が刊行された時は嬉しかった。なにせ小説刊行は五年ぶり、長篇は実に十五年ぶりだったのだ。しかもこれが先を急がせるページターナーであると同時に、一文一文が沁み込んでくる極上の読み心地。熟練の腕前が堪能できる。

 神奈川県の久里浜で夫と暮らす専業主婦、冬乃のもとに、さほど親密だったわけでもない妹の菫が転がり込んでくる。菫はこの街でカフェをオープンしたいと言い出し、料理上手な冬乃に協力を求めて戸惑わせる。一方、夫の勤務先はブラック企業化していたが、彼はその事実を妻に隠している。

 視点人物は冬乃、夫の会社の後輩、そして菫の知人の男。つまり主要人物である夫や菫の本音が見えてこないまま、物語は少しずつ不穏な気配を帯びていく。家族間の秘密が小さなヒビを生み……といえば家庭崩壊の予感がするが、一味違う展開。人間同士の信頼と絆を信じたくなる、スクラップ&ビルドの物語だ。

 秘密を抱えた家族といえばすぐ浮かぶのが角田光代『空中庭園』(文春文庫)。「何ごともつつみかくさず」がモットーの京橋家は両親と高校生の長女、中学生の長男の四人家族。友達同士のような気さくな会話が飛び交う家庭だが、実はみなそれぞれ秘密を持っている。各章で視点人物を替えながら彼らの日常が描かれていく連作集。いまだ考え方も行動も幼い父親にも呆れてしまうが、明るい母親が内心抱える屈託の根深さにはゾクリとする。彼らが暮らす郊外の団地に差し込む光は淡いが、そこにある影は思いのほか暗い。文体が軽やかなため、その濃い影だってごく平凡で日常的なものなのだと思わせて巧み。

 妻の秘密といえば向田邦子の短篇集『思い出トランプ』(新潮文庫)所収の「かわうそ」を読んだ時はゾッとした記憶がある。脳卒中で倒れリハビリ中の夫と、いつにも増して行動的になる妻。夫の回想で明かされる過去の妻の嘘の残酷さに驚愕する上、ラストシーンもホラーのよう。なのに人間の“憎めなさ”を立ち上らせる筆致はさすがとしか言いようがない。見事。

[評者]――瀧井朝世(ライター)

※「週刊新潮」2016年8月25日秋風月増大号

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最終更新:8/27(土) 8:00

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北朝鮮からの脱出
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