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戦後60年を過ぎ国内外で1500回以上の演奏会を重ねる「被爆ピアノ」

HARBOR BUSINESS Online 8/27(土) 16:20配信

「被爆ピアノ」と呼ばれるピアノがある。

 第二次世界大戦中、米国によって広島に落とされた原子爆弾(原爆)で傷つきながら、戦後60年をすぎて1人の調律師に修復されてよみがえり、国内外で1500回以上の演奏会を重ねてきた古いピアノだ。

◆広島原爆の被爆者から大切なピアノを託され、人生が変わる

 広島に原爆が投下され8月6日(土)正午前から約5時間、被爆ピアノによる平和コンサートが広島市平和記念公園で行われた。今年16回目となる演奏会の主催者は、広島市在住のピアノ調律師の矢川光則さん(64歳)。

「平和活動なんて、生活に余裕のあるお金持ちがやるもの」

 それが昔の矢川さんの考え方だった。しかし、広島原爆の女性被爆者から大切なピアノを「何かに役立ててほしい」と託され、人生が変わり始めたという。

「爆心地から半径2km圏内は焼け野原といわれる中、彼女の家は約1.8kmの場所にありました。奇跡的に残ったピアノは、原爆の爆風で割れた窓ガラスの破片のせいで、その表面は無数に傷ついていました」(矢川さん)

 終戦間際は女子高生だった被爆者が、授業も受けずに兵器工場で鉄砲の弾を手作りしていたこと。人を殺す兵器を造りながら彼女が「少しも怖くなかった」と話したこと。終戦後は、米国軍の手伝いをするために、男女の区別もつかない死体をまたいで事務所に毎日通ったこと――――。

 被爆者の父を持つ矢川さんも、生まれて初めて当事者から聞く戦争体験に言葉を失いながら「被爆ピアノの物語を伝えていかなければならない」という重い責任を感じたという。生々しい傷跡は残したままでピアノの音をよみがえらせ、「ピアノが自由に弾ける平和の大切さについて、みんなに考えてもらえるはずだ」と思ったのだ。

◆吉川晃司や原田真二、ハンコックも演奏

 被爆ピアノの演奏会は、北海道から沖縄まで、さらに米国やアフリカでも行われた。米国での演奏会前、矢川さんはオバマ米国大統領宛に「核兵器のない世界を目指すのなら、被爆ピアノを弾いてほしい」と、手紙を送った。

「何事も最初から諦めず、まずは行動してみないと始まらない」

 昔は引っ込み思案だった矢川さんは、そう考える人になっていた。被爆ピアノを通して、一見古くて傷ついたピアノに心をきちんと震わせてくれる、子供や大人たちのみずみずしい感受性にも触れてきていた。広島出身の歌手である吉川晃司や原田真二、米国人ジャズ演奏家のハービー・ハンコックも被爆ピアノを演奏し、矢川さんの活動をたたえてくれた。

「その反面、被爆ピアノに触れた小中学生が、あの年頃の私なら絶対に書けなかった立派な感想文を送ってきてくれて、私は自分の心に巣食っている『どうせ子供だから……』という偏見が恥ずかしいと痛感したんです」(矢川さん)

◆人は何歳になっても変われる

 矢川さんは肩書きや年齢、国籍などで人を判断してはいけないことを、この16年間で嫌というほど学んできたのだ。

「核兵器の被害を世界で唯一受けた国のピアノだからこそ、被爆ピアノは世界に強い説得力をもってアピールできる『日本の宝物』なんですよ」(矢川さん)

 矢川さんが被爆ピアノと出合ったのは48歳のとき。一方、彼の著書『海をわたる被爆ピアノ』を読み、地元の香川県で演奏会を実現させた女子中学生や、80歳目前で難病発症がわかって矢川さんにピアノを寄贈し、人生をより前向きなものに変えた、広島県在住の男性被爆者もいる。

 きっかけさえつかめば、人は何歳になっても変われる――希望が見出しづらい今、その事実に励まされる人はきっといるはずだ。

<取材・文/荒川龍>

ハーバー・ビジネス・オンライン

最終更新:8/28(日) 0:59

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