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伊藤有壱と眞賀里文子のコマ撮り対談、『魔人ハンターミツルギ』の秘話や進行中の『二つの太陽』まで 「キャラクターと対話しないとアニメーションは楽しくない」

おたぽる 8/29(月) 20:02配信

 8月21日、広島市のJMSアステールプラザにて「伊藤有壱vs眞賀里文子コマ撮りトーク」が実施された。

 このトークは8月18日から22日まで開催された、第16回広島国際アニメーションフェスティバルの一環として行われたもの。公式プログラムに掲載されているのは、大・中・小の3ホールで行われるもののみで、会期中は突発的に各種イベントが発生するのが恒例になっている。
 この「コマ撮り」トークがセッティングされたのは、主に全国から集う学校がブースを連ねるエデュケーショナルマーケット。伊藤と眞賀里は共に教鞭を振るう立場にもあり、イベントはそこにちなんだ話題からスタート。

 伊藤からの「眞賀里さんも僕も、10年前には先生をやるなんて思ってもいなかった」との振りに、眞賀里は「ちょうど10年目なんです“アート・アニメーションのちいさな学校”。10年持ちました(笑)」と答えた。

伊藤「その中で立体(人形や粘土などのコマ撮り)を極めた人が(東京)藝大の大学院(映像研究科アニメーション専攻)に入ってくれたりとか。ありがたいことです。ただ入ってきた生徒が全然言うことを聞かなくって、さすが眞賀里さんの弟子だなと(笑)」

眞賀里「やっぱりそうでしたか(笑)。ちゃんと『言うことは言うように』って言ったもんですからね」

伊藤「ちいさな学校で学生たちが基礎的なこととか、動かすことを感覚的に分かった人が来てくれるので、話が次に進みやすいんです」とフォローしつつ、話題は眞賀里がスタッフとして制作に加わった特撮テレビ番組『魔人ハンターミツルギ』(1973年/フジテレビ系)へと移行。

伊藤「もう魔法を見ているようで怖くて、でも見てる。そんな感じだったんです」

眞賀里「いやいや~~もうあれは1週間で1本撮るんですよ。ものすっごい……何でしょうね私、後半はちょっと鬱になりかけるくらい辛かったです」

眞賀里「お話が来て、その日のうちにデザイン描いて、デザイン持って人形を作る人のとこに行って、『そんな汚い人形を作るの?』と。『それでもお願いします』って言って戻ってきて、今度は火薬がいるから大平火薬(大平特殊効果)まで行って、『黒い煙が出るのと白い煙が出るのをください』って言って、それを調合して……」

伊藤「とてもアニメーターの話じゃないですよね。今、若い人全然ついてきてないんですけど(笑)。もう時代を2つぐらい先取りしているようなね、ワクワクする力があったんですよ。そういうのを毎週コマ撮りしてるっていう。今では信じられない」

眞賀里「時代の先取りはいいんですけど、メンバー少ないし、スケジュールと金銭的なとこの先取りが全然なかったもんですからね、かなりキツかったですね」

 続けて伊藤は眞賀里のテレビCMでの活躍や、『摩訶不思議世界』などのCMディレクター・李泰栄についてのトークを展開。眞賀里は「李さんに会ったことで、やはり大友克洋さんとかの色んな方の面白いデザインも見て、あれはなかなかいい経験でしたね」と、出会いに感謝していた。

 今回の広島国際アニメーションフェスティバルは、最終日の22日に「日本アニメーション大特集20」にて『AKIRA』の上映もあった。「今回珍しく『AKIRA』が最終日に大スクリーンで見られるっていう。みんなこうつながっているような気がします」と伊藤。

 眞賀里の沿革を追ってきたところから話は現在に。目下、日本のコマ撮りの父と称される持永只仁(※99年に死去)が生前に残した脚本に基づく『二つの太陽』の制作プロジェクトが進行中である。持永は広島フェスでは、第4回(1992年)に国際審査委員を務めている。

 眞賀里がコマ撮りの世界に入ったのは、持永がアメリカと共同制作した『ピノキオの冒険』(日本では63年放送/フジテレビ系)に参加したことがキッカケ。それだけにこのプロジェクトは使命とも言える。

眞賀里「あることは分かってても見つかるか分からなかったんですけど、持永さんの書斎を調べたら出てきたんですね。この脚本をどうするかといった時に、私が初めてコマ撮りアニメーションに触れたのが持永さんの作品だったので、しょうがないからというか私がやることになりました」

 持永は水墨画のアニメーション『牧笛』などで名高い中国人監督・特偉との親交が深かったことでも知られる。共同作業も夢見ていたというが「できなかったんですよ。文化大革命とかで。そのうちに亡くなっちゃって。残念ですよね」との眞賀里に、伊藤は「それを形にしていくという眞賀里さんの心意気であり、持永さんのご家族の心意気でもあり、実現するのにみなさんも是非応援いただければと思います」と応じた。

 一方の伊藤は「藝大のデザイン科を出た後に白組に入って、CGから粘土に辿り着きました。逆でしたね順番的に」。現在は『ニャッキ!』を作り続けて22年目となった。そのキッカケはアードマンの『ウォレスとグルミット』だった。

伊藤「その1作目(『すばらしい一日』)が広島(第3回:1990年)でインコンペ(ノミネート)されて、僕の作品(『星眼鏡』)もインコンペだったんですが、その4年後にアードマンに行ったらアードマンが粘土でコマ撮りをやる理由がハッキリ分かりました。古いとか新しいとか全く関係なく自分たちが信じたものを追求してく、外をシャットダウンしてでも追求するテクニック。ピーター・ロードさんの言うスキルって言葉が、日本語で言うよりも100倍、1000倍も説得力を持ったクリエイターのプライドとして感じたんですよね」

眞賀里「ニック・パークさんが入ってからアードマンは広がりましたよね。それは誰に聞いてもそう思うんだと思いますけど」

伊藤「僕もそのブームに乗ったのか、もう1本作ったら何とかなるというつもりで『ニャッキ!』を始めたんです」

 自身が粘土を使って制作している作品として、伊藤はテレビ神奈川で放送中の『ドロンコロン』も紹介。それを見て「立体のコマ撮りアニメーションの中でも粘土が一番パワーを出せるんですよ。こんなにパワーが伝わる素材はありません」と眞賀里。

眞賀里「やっぱりキャラクターと対話しないとアニメーションは楽しくないですよ。うまくいくかどうかはその人の技によりますけど、楽しめるかどうかはキャラクターとの対話ですね」

伊藤「粘土というのは自分に率直な素材なんで、コンピューターは全然嫌いじゃないんですけど、自分がやるとしたらってことでスパっと粘土に切り替えたんです。粘土を主役にしながらも、今でしかできない広いランドスケープとかカメラワークとかでは存分にデジタルを使いますね」

 今回、眞賀里はコンペティションで上映する作品を選ぶ国際選考委員に名を連ねていた。最後に「みなさん本当に広島に出したい、インコンペ(ノミネート)されたいと思ったら最初の1分を頑張ってください」との秘訣で締めた。
(取材・文/真狩祐志)

■広島国際アニメーションフェスティバル
http://hiroanim.org/

最終更新:8/29(月) 20:02

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