ここから本文です

天皇陛下が拠り所とされている法学と哲学

JBpress 8/29(月) 6:10配信

 戦後45年を目前に「昭和」は「平成」と元号を変えました。これに伴って、少なくとも大きなメディアであまり頻繁に議論されなくなった1つに「天皇の戦争責任」が挙げられるでしょう。

 議論がピークを過ぎてしまった理由は、明らかに「昭和天皇の死」にあるでしょう。責任の何のと言っても、すでに亡くなってしまったのだから・・・というのは、一般的な司法の責任追及にあっては首肯されるところかと思います。

 しかし「天皇」の場合、事情が面倒なのは「個人」としてではなく、その位にあることによって責任が不可分に問われ得るところにあります。その根拠として欽定憲法を挙げることができるでしょう。

 戦後70年を過ぎ、明仁天皇が8月8日、歴史的と言っていい放送を公開されました。

 この日付の選択は広島と長崎の間の週明け月曜として選ばれたものと思われ、ソ連の対日参戦などは無関係と思います。しかし「8月」であるのは明らかに背景があることでしょう。

 この放送を公開された背景には、明らかに「天皇の戦争責任」の問題があるように、私は考えています。

 少なくとも天皇にとって「戦後」が全く終わっていないことは、文面の随所から読み取れます。

 単に内面で祈る、といったことにとどまらず「象徴的行為」を通じて、国民の目に見え、互いに声が聞こえるところで共に喜び、共に痛みを分かち合うことによって「象徴天皇」が「象徴天皇」たり得るという、いわば「私の天皇実践」が、極めて慎重に言葉を選ばれながら、大変な賢慮とともに簡潔に示されている。

 その背景に、私は、皇太子時代は東宮職参与として当時の明仁皇太子や浩宮と憲法や文化国家の法治体制を講じ、即位以降は宮内庁参与として天皇皇后と幅広い問題を縦横に議論された、故・團藤重光・東京大学教授の法理論との親和性を強く感じるのです。

■ 行為無価値と結果無価値

 「行為無価値論」。ドイツ語の「Handlungsunwert」を和訳した言葉で、大変に意味が取りにくいですが、刑法上の考え方の1つです。

 1931年、若干27歳の刑法学者ハンス・ヴェルツェル(1904-1977)は「目的的行為論」と呼ばれる概念の整理を発表します。

 私は法律の全き素人ですので、間違いがあれば専門家にご指摘頂きたいと思いますが、以下はごく普通の日本国民の1人として理解しておいてよい最低水準として、團藤先生と朝日新書「反骨のコツ」を出させていただいた際の整理と理解を記します。ちなみに担当された編集Iさんも東京大学法学部出身の才媛でありました。

 さて、一般に刑法では「犯罪の構成要件を満たす、違法で、責任を問われ得る行為」が問題とされるわけですが、その行為に目的性があったか、なかったかを「目的的行為論」では問題にします。

 いまレストランで貴方がウエイターを呼ぼうとして手を上げたところ、後ろから歩いてきた客にぶつかって顔をはたいてしまったとしましょう。その結果、メガネが飛んで壊れてしまった・・・。

 損害賠償の責任などは問われる可能性があると思います。これは民事に相当するように思います。でもここには暴力行為を働こうという作為、目的性はまず認められないでしょう。刑事犯としてはこうしたケースは「過失」として扱われるように思います。

 逆に、ヤクザなり何なりの人が、明らかに作為をもってこぶしを振り上げ、顔面の寸前で止めて実際には殴らなかったとしたら、これはどうでしょう? 

 現実にはメガネがフッとんで壊れたり、顔に拳が接触などしなくても、十分暴力として成立している可能性があります。現実には反社会勢力の場合、殴るマネどころか、手をひらひらさせたり、名刺を出すだけでも、刑事責任を追及されることがある。

 前半の例では、意図せず振り上げた手が結果的にメガネを壊してしまうわけですが、この「手を上げる」という行為に着目して刑法上の「マイナス要因=Unwert(無価値)」と見るのが行為無価値的な考え方です。

 一方、結果として引き起こされた「メガネの破壊」に着目して刑法上の「マイナス要因=無価値」と見るのが結果無価値的な考え方です。厳密には正確でない部分があると思いますが、ここではひとまず、こんなふうに整理して、先の議論に進みたいと思います。

1/3ページ

最終更新:8/29(月) 7:30

JBpress

記事提供社からのご案内(外部サイト)

JBpress PremiumはJBp
ressが提供する有料会員サービスです。
新たな機能や特典を次々ご提供する“進化
するコンテンツ・サービス”を目指します。

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。