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岡田武史「やりたいと思っちゃうんだからしょうがない」

R25 8月30日(火)7時0分配信

9月1日(木)からいよいよスタートするサッカー「ロシアW杯アジア地区最終予選」(テレビ朝日系列で地上波生中継)。数々のドラマが生まれたW杯最終予選を、当事者たちと振り返る。そんなW杯最終予選で“歴史を変えた”ひとりが、オカちゃんこと岡田武史さんだ。

「ドイツでプロ」という一生の夢が潰えた瞬間。

「俺、中学を卒業する時に、“ドイツに行ってプロになる”って言って親を困らせてね。当時サンケイスポーツの運動部長だった賀川 浩さんのところに連れて行かれて、説得されたんだよ。後から聞いたら、賀川さんは“その子の勇気を汲み取って行かせてやろうと思った”っておっしゃってたんだけど、実際に来たのはメガネかけてひょろっとした俺だったから、やめるよう説得することに決めたんだって(笑)。それで俺はドイツ留学を断念したんだけど、“いつかドイツでプロになってやる”っていう気持ちは自分のなかにずーっとあったんですよ」

岡田さんはその後、大阪でも有数の公立進学校に進み、3年生の時にはユース代表に抜擢されてアジア選手権にも参加している。早稲田大学ではユニバーシアード代表に選ばれるなどの活躍を見せるのだけれど、実は一浪して一般入試で政経学部に合格。なんと最初は体育会ではなく、同好会に入ったという。

「“俺はサッカーだけじゃねえんだ”って、突っ張ってるんだよ。だからいつも岐路に立つとなんだかんだ言ってサッカーから離れようと…離れるふりをする。大学を卒業する時も、マスコミに行きたいって言って落とされて。素直に“俺はサッカー好きだ、サッカーやるんだ”って言えない人生なんだよね。ずっとハスに構えてて。それが大学卒業の時、サッカーで古河電工に誘われてようやく素直に自分の気持ちを認められるようになったんだよ」

それだけハスに構えながらも、中学時代の「ドイツでプロ」という夢を持ち続けていたという。いや、夢というより、本気で「いつか」と考えていた。

「無理だとわかったのがあの試合でしたね。現役はもうやめようと。そこで完全にプレイヤーとしての未練はなくなりました」

それが、1990年に行われたゼロックス・スーパーサッカー。日本リーグ選抜がドイツのバイエルン・ミュンヘンと戦った試合だ。前半に日産の木村和司が相手ディフェンダーをドリブルでかわし、先制。幾度かポストに嫌われるシュートもありながら、日本は1-2で惜敗した。当時、岡田さんは33歳。

「すごくいい試合だったと言われたけど、やってる俺は全然そうは思わなかった。むしろ“もう限度だ”と。それまで持っていたモチベーションとファイティングポーズが完全に萎えちゃった。それと同時に“次”を無意識に探してた。じゃあどうやったらこいつらに勝てるかという道を探そうと。それはもしかしたら、現役を退くことを決意するための逃げ道だったのかもしれないけど、俺はそう信じたんだよ」

「プロの指導者」として日本サッカーで生きていく。

岡田さんは、所属していた古河電工のコーチになった。

実は選手時代から、ピッチ上のコーチを自認していた。ロッカールームでは、独自のスカウティングによるその日の試合プランをチームメイトに授け、いつも「なぜ監督は俺が思うような練習をしないんだろう」とかすかな不満も抱いていた。

「でもいざ自分がコーチになった時にやってみると、全然うまくいかないんだよね(笑)。選手時代の俺は、いわばお釈迦さんの手のひらの上の孫悟空。全体が見えてなかった。それで2年間で行き詰まった。充電したいと思ったんだけど、“充電”っていうと会社から給料もらえないじゃん(笑)。だから、ドイツに1年留学させてくれと。古河電工って素晴らしい会社で、半ば俺の考えをわかったうえで行かせてくれたんだ」

ドイツにいる間に、日本ではJリーグの発足が決定する。

岡田さんは、というか、チームの選手全員がそれまで社員だった。安定していて、身分は保障されている。岡田さんだって現役引退後は一時、会社に戻って真剣に社長への道を目指すか悩んだともいう。それが突如、「プロ」として契約することになるのだ。

「当時僕は、自分で言うのもなんだけど、社員としての評価が悪くなくて、結構いい給料もらってたんですよ(笑)。それは、実際プロになってもさほど大きな差はなかった。逆に社会保険とかを考えると、リスクが高すぎた。すごく悩んだんだけど、日本のサッカーの流れが変わろうとしている時に、日本リーグで先頭を走ってるひとりである俺が、そこで安全策をとると、せっかくの流れを止めてしまうだろうと、プロになることを決断したんです」

日本サッカーの将来を鑑みて? と尋ねると、「そんな立派なもんじゃないよ」と岡田さんは笑った。

「自分がやってみたかっただけ。でも“やりたいからやるんだ!”って、家族には言えなかった。子どもも3人いたし、そこは言い訳だよね(笑)。まだ小さかったけど、子どもたち全員呼んで、“お父さんはこういうことをやりたい。いつクビになるかはわからない。ただそうなってもお前たちを食わせていく自信はある。だからやらせてほしい”って説明したんだ。どこまでわかってたかはわからないけど。カミさんはすぐに“やったら?”って言ってくれた」

実は岡田さん、学生結婚で、選手時代は夫婦揃って相当な貧乏生活を送ったこともあったらしい。

「代表に選ばれた時にはサラ金でお金借りて参加してたし、家は6畳一間に二人暮らし。会社の50円のカップコーヒーが飲めないのも普通だったからね(笑)。“いざとなったらあの時に戻ればいいだけなんだから、好きなことやったら?”って(奥さんが)背中を押してくれたんだ」

1993年、岡田さんはJEFユナイテッド市原のコーチになった。当時36歳。それが、その後長きにわたる「プロの指導者」としてのスタートだった。

■インタビュー後編はこちらから
■R25「サッカー日本代表」特別インタビュー特集はこちらから

武田篤典(steam)=取材・文/稲田 平=撮影

■サッカー「ロシアW杯アジア地区最終予選」(テレビ朝日)
10月6日(木)日本vs.イラク
10月11日(火)オーストラリアvs.日本

川平慈英&中山雅史がW杯アジア地区最終予選の思い出の名シーンとリンクするスペシャル映像も要チェック。
(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびR25から一部抜粋したものです
※一部のコラムを除き、R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております

最終更新:9月15日(木)18時1分

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