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皇統断絶の危機で注目される旧皇族とは何か --- 八幡 和郎

アゴラ 8/30(火) 16:33配信

万世一系といわれる日本の皇室だが、現皇室で今上陛下の男子の孫は悠仁さまだけ。まさに皇統断絶へ向けて薄氷を踏む思いだ。

そこで、女帝とか女系子孫の可能性も取りざたされるのだが、もうひとつの可能性として、旧皇族とか、旧宮家から出せばいいのにといわれる。

ところが、旧皇族と旧宮家に定義などないし、正式に登録されているわけでもない。ヨーロッパでは貴族制を廃止しても爵位だけは国が管理していることもあるが、日本ではそういうことはしていない。

しいていえば、旧華族の懇親組織である霞会館の会員としての管理や、宮内庁が旧皇族として会合に招待する名簿くらいしか公的なものはない。

しかし、ここでは、少し無理を承知で皇位継承問題を考える上での基礎知識を提供しておこう。

中世から江戸時代にかけては皇位継承からはずれた皇族男子はほとんどが出家して門跡などになり、宮家は伏見・桂・有栖川・閑院の四つしかなかった。あとはごく例外的に公家の養子になったり、新しい公家を創出したこともある。

しかし、維新のときに門跡をみんな還俗させたので大量の宮家が出来た。そして、昭和22年に大半の宮家が廃止になったときには、伏見、久邇、東久邇、北白川、山階、朝香、竹田、梨本、東伏見、賀陽,閑院の11家があった。

有栖川と桂は断絶していた。また、東伏見は女性だけだった(久邇宮家から養子ではないが祭祀継承者を迎える)。しかも、閑院宮も伏見宮系が継いでいた。この11家のうちその後断絶した家を除く家の当主がもっとも狭い意味の旧宮家だ。さらに、戦後、山階と閑院が断絶している。

また、このほかに、昭和22年以前に宮家の次男以下は、侯爵か伯爵となって皇族から離脱してるので、その子孫の方々がいる。また、昭和22年には皇族のままだったが、戦前の制度が続いておれば、臣下に下っていたはずという人もいる。

たとえば、竹田家では、五輪組織委員会の竹田正和会長は長男でないので戦前の制度ならいまごろ侯爵にでもなっていただろう。だから,その子の恒泰さんも旧皇族そのものとはいえないのだ。

また、旧皇族の子供のなかには、嫡出子でなかったり、再婚などで生まれた方もおられる。また、他家に養子に行った人、他家から養子になった人もいて、そのあたりまで加えて行くと、100人ほどになる。

さらに、別の観点から皇位に近いといえるのは、女系で明治天皇や昭和天皇の子孫という人がある。つまり、明治天皇の四人の皇女が、北白川、朝香、竹田、東久邇宮と結婚している。また、昭和天皇の長女が東久邇家に降嫁しているので、東久邇家の当主は,昭和天皇の孫であり、明治天皇の曾孫にして玄孫でもある。

これが、旧皇族の全容であるが、やはり、皇位継承の対象を検討する上でも、明治以降の皇族の子孫は、皇統譜の関連資料として宮内庁が管理すべきだろう。ときどき、怪しげな明治天皇の子孫も出てくるから、そうしたほうがよい。

また、現皇室に近いか、濃淡がある。女系派の論者でも、明治天皇の女系子孫は皇位継承の候補者とみても良いという人もいる。

やはり、皇位継承の条件を今上陛下の子孫に限るというようなことをすると、いまは誰も異を唱えなくても、未来において、今上陛下の評価を下げてしまいかねない。そういうことも考えるべきだと思う。

また、血縁的に遠い旧皇族には別のメリットがある。女性皇族の結婚相手として考えた場合には、かえって共通の近い祖先を持たない方が優生学的に好ましいとも言えるのだ。

八幡 和郎

最終更新:8/30(火) 16:33

アゴラ

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