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EU離脱はイギリスの新たな成功の歴史への一歩となるか

Meiji.net 8/31(水) 14:38配信

EU離脱はイギリスの新たな成功の歴史への一歩となるか
長峰 章(明治大学 政治経済学部 教授)

 今年(2016年)の6月23日、国民投票の結果52%を獲得し、イギリスがEU離脱を選択したことは大きなニュースになりました。
 7月13日にはテリーザ・メイ氏が新首相に就き、EUと離脱交渉が始まります。これからイギリスは何を目指し、日本との関係はどうなるのか。イギリスが歩んできた歴史から考えてみましょう。


◇ヨーロッパ各国と一線を画してきた大英帝国

 歴史上、世界を席巻する国は何度か現われましたが、ヨーロッパの国が覇権を握るのは大航海時代からです。16世紀にはスペインやポルトガルが南米に進出し、17世紀になるとオランダが東インド会社を拠点に東南アジアに進出しました。

 当初、イギリスはこうした動きに出遅れていましたが、1707年にスコットランドを併合してから強国となり、スペインの無敵艦隊を破り、オランダとも戦いを繰り返しながらインドに進出。
 1840年にはアヘン戦争に勝ち、中国から香港を得ることになります。さらに18世紀半ばから19世紀にかけて国内では産業革命を起こし、「世界の工場」と称されるほどの活力で、海軍力だけでなく経済力でも覇権を握ります。
 この時代、大英帝国はまさに世界に君臨したわけです。

 一方、ヨーロッパ大陸では、18世紀の終わりにフランスで革命が起こり、ナポレオンが現われて一時はヨーロッパを席巻したり、1871年にようやく統一したドイツは、1914年に始まった第1次世界大戦(1914年~1918年)でヨーロッパを戦禍の渦へと巻き込むなど、激しい対立と混乱が続きます。

 この第1次世界大戦後のパリ講和会議で、イギリスはドイツに過度の屈辱を与えず、賠償金も履行可能な程度にすることを提案。アメリカの賛同を得ましたが、ドイツから大きな被害を被ったフランスは激怒。徹底的にドイツを封じ込めるため、多大な賠償金を課すことを主張しました。

 結局、賠償総額は1320億金マルクとなりましたが、これは1913年のドイツ国民総所得の2.5倍という巨額です。1923年にドイツは賠償支払い不能を訴え、イギリスは賠償金支払い猶予に応じる構えを見せましたが、フランスは強硬な態度を崩しませんでした。

 そのためマルク為替は下落し続け、国内ではインフレが激化し、1924年には、なんと1兆倍に達しました。ドイツ国民の絶望、怒り、敵愾心はナチスを台頭させることとなり、ヨーロッパを力でねじ伏せようする第2次世界大戦へとつながっていきます。

 ヨーロッパ大陸の歴史は、国境を接する国々が絶えず争いを繰り返してきた歴史でもあります。しかし、大陸とは隔たり、また世界の覇権を握ったイギリスは、そんなヨーロッパとは立場が少し違っていました。
 日本から見ると、イギリスはフランスやドイツ、イタリアなどと並ぶヨーロッパの揺るぎない一員であると思いがちですが、イギリスは大陸のヨーロッパ各国と一線を画してきたといって良いでしょう。
 イギリスの首相であったチャーチルは、第2次世界大戦後すぐに、ヨーロッパは統一国家を創るよりしょうがない、と語っています。それは、ヨーロッパの歴史と実状を指摘しているとともに、一歩離れたところからヨーロッパを俯瞰しているようなイギリスの立場も象徴しています。
今年(2016年)イギリスがEU離脱を選択したのは、こうした背景が伏線になっているのです。


◇イギリスのEU加盟は経済的理由

 第2次世界大戦後、実際にヨーロッパを統合しようという気運が高まっていきます。まず、1952年に、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6ヵ国によって欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立されます。

 歴史上、資源の獲得争いから戦争になることが多かったため、石炭と鉄鋼を共同管理しようという組織です。これはヨーロッパの最初の組織であり、ヨーロッパ統合への出発点といって良いでしょう。

 1958年には、欧州経済共同体(EEC)ができ、1967年に、ECSCとEEC、そして欧州原子力共同体(EURATOM)が統合し、EU(欧州連合)の前身となる欧州共同体(EC)が誕生します。このとき、イギリスはECに加盟しませんでした。

 ヨーロッパの歴史を見ればわかるとおり、ヨーロッパの統合には、経済的側面と、政治や安全保障の側面があります。統合を推進するフランスにとっては、隣国のドイツを封じ込め、二度と暴れさせないという思惑が強くありました。
 イギリスには、このような意図はフランスほど強くありません。むしろ、20世紀になりイギリスに替わって世界の覇権を握るようになったアメリカや、旧植民地を含む英連邦諸国とのつながりの方を重視していました。

 ところが1950年代以降、労働党の政策などにより産業国有化が進められると、国際市場での競争力を失い、イギリスの産業は衰退し、経済は停滞していったのです。「英国病」といわれる時代です。
 そこで、身近なヨーロッパの市場を頼りとして、1973年にイギリスはECに加盟します。この選択は成功したといって良いでしょう。1980年代の「サッチャー革命」とあいまって、イギリスの経済は活性化へと向かうのです。

 つまり、イギリスがECに加盟したのはまったく経済的理由で、フランスなどのように国家連合を創ろうという思いはありませんでした。むしろ、世界の覇権を握った大英帝国の記憶をもつイギリスにとっては、国家主権は絶対に譲れないという立場なのです。
 このイギリスの姿勢は、1993年にECを基盤にしたEU(欧州連合)の発足にあたり、離脱することはなかったものの、欧州単一通貨ユーロの導入には参加しなかったことに顕著に現われています。通貨を発行するのは重要な国家主権であり、イギリスがそれを手放すことはないのです。

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最終更新:8/31(水) 14:38

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