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侍J・小久保監督&仁志コーチに聞く幼少期の思い出 成長に必要なこととは

THE ANSWER 9/1(木) 8:10配信

素振りは回数ではなく「続けることが大事」

 8月28日、「日本通運×侍ジャパン」による野球教室がさいたま市営浦和球場で行われた。侍ジャパンを率いる小久保裕紀監督、同内野守備走塁コーチでU-12代表監督も兼任する仁志敏久氏らが埼玉県内の少年野球チームに所属する小学生に対して熱心に指導した。小学生の頃の両氏は、自ら率先して野球に取り組んでいたと回想した――。

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 小久保氏、仁志氏は日本通運野球部の選手やコーチとともに講師役を務め、埼玉県内の少年野球チームに所属する小学5、6年生約100人に対して直接指導を行った。台風10号が近づく中で天候が心配されたものの、無事グラウンドで開催。バッティング、内野・外野守備、ピッチングとそれぞれのセクションに分かれて貴重な時間を過ごした。

「すごいスイングの子が何人かいましたね」

 現役時代は福岡ソフトバンクホークス(ダイエー)、読売ジャイアンツで通算413本塁打、2041安打を放つなど名スラッガーとして知られた小久保氏は、打撃練習を指導する中で参加した子供たちのバッティングセンスに目を見張る場面もたびたびあったと振り返る。

 一方で1996年に読売ジャイアンツに入団して新人王を獲得し、俊足強打として名を馳せた仁志氏は99年から02年まで4年連続で二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した名手だ。「自分が教えてもらっていないときでも、話を聞くようにしよう」とスタートさせた教室では、「守備の姿勢を良くすることでケガをしにくくなる」など、現役時代から卓越していたと言われる守備理論をかみ砕いて説明した。

小久保&仁志両氏が幼少期に取り組んだこと

 充実した野球教室の終了後、両氏に幼少の頃の思い出を聞くと、「子どものころは、野球しかしたことがないですね」(小久保氏)、「小学校4年生からは野球だけをやっていましたね」(仁志氏)と異口同音に話しつつも、自発的な努力があったと回想する。まずは小久保氏だ。

「小学校2年生の時から『プロ野球選手になりたい』と言っていましたね」と早く目標設定したことで、日常生活も自然と規則正しいものになったという。「その中で身長は4年生くらいから伸び始めました。祖父が背が高いので遺伝もありますが、好き嫌いなく食べて、よく寝ることが大事だと感じました」と、健全な心身を育んだという。

 一方の仁志氏も「学校から帰ってから、素振りや腕立て伏せ、中学校に入ってからはランニングもやっていました」と、野球をやる上での土台となる体力をつけることを常に意識していたそうだ。

「素振りは回数が大事なのではなく、続けることが大事。毎日20分でも続けていれば差が出てきますからね」とも小久保氏は語った。「勉強、野球、食べること。とにかく目の前にあることに全力で取り組んでほしい」ともメッセージを送った。

 日々の努力は明確な目標設定があってこそ。2人の名選手の幼少の話は、将来の球児にとって大きなヒントとなったはずだ。

ジ・アンサー編集部●文 text by The Answer

最終更新:9/1(木) 8:10

THE ANSWER

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