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《連載 SMAPがいた時代・中居正広》一人称が“おいら”から“僕”に変わった日

週刊女性PRIME 9/3(土) 22:00配信

'88年に前身のスケートボーイズから6人が選ばれて結成。これまでのアイドル像をぶち壊した彼らは、メンバーの脱退や事件も経験しながらも国民的な存在に成長していった。今年12月31日をもって解散が発表されたSMAPがどんな時代を生きてきたのか。それぞれの素顔とともに追っていく─「SMAPが年末に解散!」

 衝撃のニュースから半月、世間の混乱はまだ収まらない。

 25年間、お茶の間を魅了し続けた国民的アイドルグループが終幕する。単なるテレビスターの枠を超え、いつの間にかファンや視聴者とともに日々を生きていた稀有な存在『SMAP』だからこそ、喪失感は計り知れない。

「僕らは周りからこうしろ、ああしろって言われるのが好きじゃなかった。自分たちが“コレだ!”っていうものをやってきた。歌にしろ、衣装にしろ、ドラマにしろ、好きなものだけをやってきたから無責任なことはできなかった」

 SMAPのリーダー・中居正広はかつて、雑誌の取材でこう語っている。

 たしかにSMAPはスーパーアイドルであると同時に、“作りもの”ではない人間味を感じさせた。幅広い層から人気を集めるきっかけとなったバラエティー番組『夢がMORI MORI』や『SMAP×SMAP』(ともにフジ系)で見せてきた姿はお笑いあり、料理あり、かぶりものあり、身体を張ったチャレンジありと、それまでのアイドルとは一線を画していた。

 SMAPをデビューから支え、今年1月に退社した元チーフマネージャーのI氏は、人気が急上昇したころの彼らを、近しい関係者にこんなふうに説明していた。

「正統派は光GENJI、少年隊といっぱいいますから、同じことをやってもしょうがないかなというのは本人たちの中にあると思います。木村(拓哉)がよく言っているのは、ドラマをやってるのは木村A。

 でも『夢モリ』に出てるときは木村B。で、歌っているときは木村Cだと。多面性があることがタレントとしてこれからすごく必要なんじゃないかと」

 見立てはゆっくりと、しかし見事に的中する。デビュー曲『Can't Stop!!  –LOVING–』はオリコンチャート2位にとどまり、その後泣かず飛ばずの状態が続いたが、『Hey Hey おおきに毎度あり』で初の1位を獲得すると一気に追い風が吹き始める。その裏で懸命にメンバーの乗る船の舵を取り牽引してきたのが中居だった。テレビ局関係者が語る。

「当時はコンサートの構成も中居クンが中心になって考えていました。“6人が対等な関係で作っていくのが大事”と。たまに心の探り合いがあって、メンバー同士で遠慮してしまうこともある。

 そういうときに自分が出て行って“じゃあ、こういうふうにしようぜ”と仕切るんだけど、“すごく勇気がいる。メンバーの気持ちを遮って、プライドを傷つけるんじゃないかと思うから”と言ってましたね」

 デビュー時、まだ20歳の中居がグループをまとめていこうと苦慮していたことが伝わってくる。そんな彼も18、19歳ごろまでは自我が強く「俺が、俺が」と、何でもいちばんになりたいと思っていた。

《歌はソロをとりたい。踊りは真ん中で踊りたい。芝居はおいしい役じゃなきゃ嫌だ。笑いは自分がいちばんとりたい。自分がいちばん人気者でありたいって。6人でひとつなんて、考えてなかった》(JUNON'95年4月号)

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最終更新:9/6(火) 4:33

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