ここから本文です

初先発。僕はようやくチームの一員になれた―― お笑い芸人・杉浦双亮の挑戦記〈25〉

BEST TIMES 9/4(日) 7:00配信

■36度の灼熱の中で見えた世界

 野球選手にとってマウンドは「夢」。
「夢のマウンド」とはよく言うけれど、8人いる野手に対して一人しか、ほかの選手より、球場にいる誰より少し高い位置にいることはできない、特別な場所だ。
 その夢の場所に、まっさらな状態で立つ。
 自分の一球がこれから始まる戦いの火ぶたを切り、その先頭にいる――僕はついにその「夢の場所」に立った。

 8月20日16時、坊っちゃんスタジアム。
 最高気温36℃の、暑い日差しが照り付ける中で緊張と、喜びが混ざり合う40歳の「芸人」がそこにいたのだ。

 マウンドに上がった瞬間のことはなんとなく覚えている。ふわふわしていた。でも、はっきりと感じたことがひとつあって、それは「なんか今日は全部が近いぞ」ということだった。

 これまで僕は坊っちゃんスタジアムが苦手だった。バックネットがひどく遠く感じられ、コントロールがおぼつかない。それはワンアウトも取れずに降板してしまった経験から来たものなのかもしれないけれど、とにかくいいイメージがなかった。

 だからこの日の先発を告げられた2カ月前から毎夜、イメージトレーニングをしていた。ほかの球場よりちょっと高いマウンド。遠いバックネット。キャッチャーの姿……。目をつむり、想像のなかで何球も投げ込んだ。
 実際の練習でも、香川の打順を想定して、チームメイトに順番に打席に立ってもらいシミュレーションを繰り返した。一番は右バッター。二番は左バッター……。特に、香川のスタメンはある程度固定されていて、左バッターが多い傾向にあったから、それもふまえて左バッターへのシミュレーションは入念に行った。

■柴田投手の姿から学んだこと

 イメージトレーニングやシミュレーションに役に立ったのが、僕の先発試合の二日前の香川戦だった。僕ら愛媛マンダリンパイレーツの先発はシバっちゃん(柴田健斗)。いつもは抑えや中継ぎで活躍する元NPB組の速球派は、チームが9連戦の真っただ中ということもあって、先発の役割を任されていた。一方僕は、先発が決まっていたこともあり、バックネット裏でチャートを書く担当の日になっていた。チャート係は、相手打者の傾向や、ストロングポイント、ウィークポイントを書いてチームに提出する。偶然、僕は先発する相手のチャート係だったのだ。改めて打者の傾向を見ることができたことはとてもいいタイミングだったと言える。

 もうひとつ、この試合で役立ったことがある。シバっちゃんは初回からどんどん飛ばしていた。150キロに迫る速球で相手をねじ伏せていったのだけれど、そのまま157球を投げて完封してしまった。試合後、車で一緒だったシバっちゃんに「今日はシバっちゃんのピッチング、とても役立ったし、なにより刺激を受けたよ! ありがとう」と言った。もちろん、それは配球とか、打ち取り方といったことではない。僕はシバっちゃんのようなストレートも、キレのいい変化球も投げられない。はっきり言ってレベルが違う。それは自覚している。けれど中継ぎから先発へと違う役割を任され、なにがなんでも最後まで投げる――それは、チームが連戦でほかのピッチャーが苦しい時期だということを理解していたからで――その姿に、マウンドに臨む気持ちの大事さを感じたのだ。

 こうして僕は、できうる限りの準備をしてマウンドに上った。そして、冒頭に書いたように、理由は分からないけれど、この日「こんなにキャッチャーって近かったっけ」と思うくらい、すべてが近く感じられたのだ。

 いざプレイボールがかかると僕の耳には何も聞こえなくなった。ただ、いつもより近いバッターとキャッチャーと野手と、スタンドと……それしか目に入らなかった。

1/3ページ

最終更新:9/4(日) 7:00

BEST TIMES

記事提供社からのご案内(外部サイト)

BEST TIMES

KKベストセラーズ

笑える泣ける納得する!KKベストセラーズ
の編集者がつくる「BEST TIMES」
(ベストタイムズ)。ちょっとでも皆さんの感
情を揺さぶれたらいいな、と思います。

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。