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バカ田大学が東大にやって来た! 豪華講師陣が受け継ぐ「赤塚イズム」で常識を突破しよう!

ダ・ヴィンチニュース 9/4(日) 18:00配信

 バカ田大学とは赤塚不二夫の代表作『天才バカボン』に登場するバカボンのパパの出身大学である。パパはもちろんのこと、『天才バカボン』にはバカ田大学出身の奇想天外なキャラクターが数多く登場し、作品を盛り上げてきた。そんなバカ田大学が本当にあるなら、どんな講義が行われているのだろう?

 赤塚不二夫の長女でフジオ・プロダクション代表の赤塚りえ子の呼びかけにより、そんな思いつきが現実のものとなった。2015年12月から翌年3月にかけて東京大学の中でバカ田大学が開講され、講師たちに「赤塚イズム」をテーマとした講義を行ってもらったのである。『赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!』(文藝春秋)はそんなバカ田大学の講義録だ。講義内、そして赤塚作品内で繰り返し語られる「バカ」という言葉の意味は、きっと読者に人生の見方を変えるきっかけを与えてくれるだろう。

 それにしても東京大学、もとい、バカ田大学に集結した講師陣の顔ぶれがすごい。脳科学者の茂木健一郎、解剖学者でベストセラー『バカの壁』でおなじみの養老孟司、サブカル層に絶大な支持を集めるみうらじゅんに、『孤独のグルメ』原作者の久住昌之…名前を書き連ねればきりがない錚々たるメンツである。そんな彼らと「バカ」というテーマは一見、あまり縁がなさそうに思えるが、ここで語られる「バカ」とは単に頭が悪い人々のことを指すのではなく、常識を超越できる力をもった型破りな人々のことなのである。

 例えばミュージシャンの坂田明は愛を注いでやまないミジンコについて、延々と語り続ける。その薀蓄も十分面白いのだが、講義の後半で話は思わぬ方向に振り切れる。

今日最も大切なことは「ミジンコに愛は通じない」ということです。

 人間は自分たちの都合で愛や正義やヒューマニズムを押しつけ合い、争いにまで発展してしまう。そこで、坂田の愛など関係なく自分の都合だけで生きているミジンコを眺めることによって、そんな人間の生き方を顧みているのである。

 舞台演出家の鴻上尚史はバカボンとバカボンのパパの行動から現代を生き抜くためのコミュニケイション術を読み取る。コミュニケイション術の段階を「聞く」「話す」「交渉する」の三つに分け、ギャグ漫画らしくドジを繰り返す二人が、その実、相手の話をちゃんと聞くことに長けていると解説する。海外留学経験があり、演出家としても個性的な俳優たちと関わる経験が多い鴻上のコミュニケイションに対する視点は深く、重みがある。

 ほか、玩具集めや看板の写真採集といった趣味の話ばかりしながら、いつの間にか人生論になっているみうらじゅん。取材旅行では事前に細かく調べることをせず行き当たりばったりを貫くことで「自分」がわかってくると解説する久住昌之。講義の始まりには役に立たない知識に思えたそれらのエピソードが、講師陣の血となり肉となっていることが実感できてくると見事な社会学に変貌していく。一体、どんな終着点に辿り着くのかわからない語りの数々は、テキストありきの講義よりもよほどスリリングだ。「バカと天才は紙一重」とはよく聞く言葉だが、顕微鏡のミジンコや漫画本のページから世界のあり方とつながる大胆な発想力、それはまさに人々が「天才」と呼ぶ類の感性だろう。

 そして茂木健一郎は、天才と賢さは別だと説く。彼は天才の方程式を「天才=賢さ×愚かさ」だと主張する。

賢さの競争は終わったんです。だって人工知能が出てきちゃったんだから。天才は賢さだけじゃなくて愚かさも必要だ。

 現代人は愚かになることを恐れがちだ。特に日本人はルールを生み出すことよりも、守ることのほうが得意な人種である。しかし、本書に登場する固定観念に縛られない講義の数々を読んでいると、愚かに生きてバカになる楽しさが見えてくるようになる。きっと赤塚不二夫は生涯をかけて「バカの意味」を体現した存在だったのだろう。そして、「赤塚イズム」は受け継がれ、今も様々な分野に影響を与え続けている。

文=石塚就一

最終更新:9/4(日) 18:00

ダ・ヴィンチニュース

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