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東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。――水道橋博士(第4回) 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 (春日太一 著)

本の話WEB 9/5(月) 12:00配信

 時代劇から「仁義なき戦い」まで数多くの傑作映画を生み出してきた東映京都撮影所の歴史をダイナミックに描いた『あかんやつら』(春日太一・著)。このたび文庫化され、渾身の解説文を書いた水道橋博士。
 今回、読書の秋にぜひオススメの一冊として、本書をより多くの人に読んでもらいたいと思った博士がWEB限定で公開する、文庫本の解説よりも長い“一万字”解説をお楽しみください。

「岡田茂史観」を避け、周囲の証言から人物の輪郭を描く

 実際、映画制作の過程も、きめ細かく描かれる。

 「ヤマ場からヤマ場へ」を鉄則にした東映京都の脚本を支えた、編集マンの存在を語るところで「東映時代劇の独特のテンポは宮本信太郎の鋏によって生み出される」と、当時の映画評論家にそう評されたことを紹介した後、「自らの感覚を頼りに鋏も機材も使わずに、手でフィルムを千切りながら、フレーム単位のリズムを作っていく」と書き加える春日節に胸が躍る。こういう見せ場の作り方は、まるでペンの殺陣師のようだ。

 そして東映黎明期のスタッフとは、やくざあがりや、満州からの引き揚げ者、レッド・パージで働き口を失ったインテリくずれなど、皆、不良品の溜まり場に吹き寄せられた、「あかんやつら」であった。

 彼らは戦後「日本映画の父」牧野省三の息子であるマキノ光雄の下へ集う。

 1947年、東映の前身、東横映画は、わずか3棟の木造スタジオのオンボロ撮影所からスタートする。後に映画会社の統廃合を経て、時代劇映画ブームで鉱脈を得て、東映は弱小後発ながら、量産体制に入り、短期間で「東洋一の撮影所」へ成り上がる。 

 隆盛期の撮影現場は過剰にエネルギッシュで躍動感に満ちている。

「走らなアカンで! 走って、目立とうや!」の怒号に煽られ、馬車馬の如く働き詰め、「いつも客のことを忘れたらアカンで。暇があったら小屋に行って客の顔を見てみい」というマキノイズムの浸透と共に、大衆娯楽に徹した東映の社風が確立されていく。

 一冊を通じてカルチャーショックに病むのは、かつての京撮の現場が、お上との共犯関係や薬物汚染ありありの“グレー”で“ブラック”なことだ。

「ピストルは警察から本物のブローニングを借りた。そのため、美術スタッフの多くはいつの間にか銃の扱いができるようになっていた」

「『疲れた人! ビタミン注射を打ったろ』その掛け声を合図に看護婦の前に一列に並ぶと、看護婦は次々と注射を打っていく。(中略)これで頭をスッキリさせ、朝までの仕事をやり遂げるのだった」

「火の中での立ち回りでは、防護服も着ていない役者の体に灯油をかけて燃やして、大ヤケドを負わすこともあった。」

 こんな記述が頻出するのだ。

 また、京都の土地柄もあり、任侠路線、実録路線の時代も、そのリアリティを巡って、ヤクザ組織との密接ぶりも今では想像も及ばないほどだ。

 その緩衝役として活躍した俊藤浩滋プロデューサー、そしてその娘、藤純子親娘の東映史に於ける業績は特筆ものだが、その出自などに関しては、従来の本では曖昧にボカされてきた。しかし、この本では「戦後に沖仲仕をしながら任侠の徒たちと親交を深め、その後は木屋町のバー『おそめ』のママの愛人になり、そこに出入りする芸能関係者たちの知己を得ながら、その人脈を生かしてフィクサー的な役割をするようになっていた」と、あっけらかんと触れてから、その仕事ぶりに踏み込んでいく。(実際、ボクは、この本の存在を新幹線のなかで井筒和幸監督に伝えたところ「その本は、俊藤のことをちゃんと書いているんか?」とキレ気味に聞かれたほどだ)

 初期の東映を支えた英傑、マキノ光雄が48歳で早逝し、東映中興の祖「鬼の岡田茂」の時代になる。「東大経済学部出身のエリート」でありながら「やくざを投げた男」として数々の修羅場を潜り、若くして「日本映画の首領」となる一大人物伝が語られる。

 この時代、出鱈目で香ばしい逸話、こくのある武勇伝は数限りない。

 しかしながら、この本には(岡田茂・談)は一箇所もない。岡田茂の自伝、評伝の類は既に数々あり、もちろん、東映史を描くには、その豪腕、巨魁ぶりは外せない。

 しかし、従来の岡田茂史観を避け、周囲の証言から人物の輪郭を描くことで、晩年の神通力の衰えと失策にも斬り込み、一人の英傑の興廃と盛衰の儚い無常感までを描破した。 

 この書き方こそ、この本の肝でもある。なぜなら岡田茂史観ではない、東映史の本など、かつて一冊もないのだから。

 東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。

「撮影所」という組織、映画という斜陽産業が路線変更を繰り返し、いかに「作り続けること」でサバイバルしてきたか。そして、世に送り出した作品は、失敗作を含めて全てに秘めたるドラマがある。

 ゆえにこの本を書き終える難しさは計り知れない。

 膨大な作品を時系列で取り上げるだけでも字数は増え続けるだろう。筆者とて最も語りたいところの役者論と作品論を脇に置き、引き算を繰り返しながら、冷徹に興行成績だけで作品の雌雄を決し、それに伴う経営判断の変遷を追ってゆく……。

 本書でも学校で使う歴史の教科書同様、近現代史は駆け足という習いは一緒だが、しかしボリュームとして少ない。

 その最後半のページにこそ意義深い、東映京都撮影所の未来への提言が厚く重ねられた。そしてこれは、映画を駆逐したテレビが、今同様に斜陽産業に向かう中での暗喩めいた提言ともなろう。

「東映京都の話はこんなに甘くない!」。上述の崔監督や、井筒監督、それどころか古参のOBは山のようにいる。

 古株自慢の東映マニアたちが、1977年生まれの著者の取材不足とミスを手ぐすね引いて待っている……。

 そんなプレッシャーも常にあったであろう中、しかし、氏は、東映京都に通い詰めて掴み取った数々の証言で、見事、返り討ちを果たしているのだ。

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最終更新:9/5(月) 12:00

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