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国枝慎吾、史上初のパラ3連覇へ。苦境の中でも「自分の力を信じる」

webスポルティーバ 9/5(月) 11:47配信

 9月7日(日本時間8日)にリオパラリンピックが開幕する。日本はロンドン大会の2倍となる“金メダル10個”を目標に掲げる。その候補のひとりとして期待されるのが、車いすテニスの国枝慎吾(ユニクロ)だ。リオではシングルス3連覇がかかる。

【写真】手術後の復帰戦となった、5月の車いすテニスの国別対抗戦でもウデと対決した国枝慎吾

 グランドスラムの男子世界歴代最多となる40回の優勝を誇る彼をもってしても、4年に一度のパラリンピックという舞台は、「比較にならないくらい特別な場所」と語る。同時に、スコアの数字以上に拮抗した試合展開になることが多いことから、「怖い場所」でもあるという。不屈の闘志でその世界の頂点に君臨してきた国枝だが、今回はこれまでと違う不安を抱えて臨むことになる。その不安とは、肘の調子と、その影響による実戦不足だ。

 国枝は4月に痛みを抱える右肘の内視鏡によるクリーニング手術を受けた。この時、9月のパラリンピックまでの期間を考えると遅いのではないか、という声も周囲から漏れた。だがこれは、ロンドンパラリンピックを控えた4年前も同様の出術をし、見事に完全復活した経験から、リオに間に合うギリギリの段階まで熟考を重ねた上での決断であり、もちろんそのタイミングも計算のうちだった。ところが、想定外のことが起こる。術後の経過が思わしくなく、痛みが再発したのだ。

 7月のウインブルドンは欠場を余儀なくされた。これまでグランドスラムの中で唯一ダブルスのみの開催だったウインブルドンは、今年からシングルスも実施されることになっていた。長年、選手の声を代表して「グランドスラムにはシングルスとダブルスの両方揃うことが自然」と主催者に訴え続けてきた国枝にとって、モチベーションは誰より高かったはずだ。しかし、「どうしてもその時期にテニスができる状態ではなかった」といい、「テレビでライバルが優勝する姿を見て、ジェラシーを感じた」と当時の心情を打ち明けた。

 全仏オープン以降は、国内で治療とフィジカルの強化に充てたが、調子には波があった。約1カ月間テニスを離れた時期はどん底だった。「何度も心が折れ、一番苦しかった。もしかしたら、パラリンピックに出られないかもな……というところまで頭をよぎった」というほど、追い込まれていた。

 そんな彼を支えたのが、家族やコーチ、トレーナーたちだ。

「“チームクニエダ”が必死になって、リオの舞台に立たせようという思いで調整してくれた。それがなければ、今回は本当に厳しい出発になったと思う」

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最終更新:9/5(月) 11:47

webスポルティーバ

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