ここから本文です

孫とカニと浜離宮

Wedge 9/5(月) 12:40配信

 夏休みの某日、孫のAを連れて都立庭園の浜離宮(恩賜庭園)を訪れた。

 前回浜離宮に来たのは二十数年前、すでに亡くなった義母の東京見物の時だった。

 その時は、上京した義母が「銀座と浅草を見たい」と言うので、銀座から浜離宮に移動し、浜離宮の一角にある水上バス乗り場から遊覧船で隅田川を北上、浅草で降りて浅草寺や六区の界隈を歩くコースを選択したところ、義母が大変喜んでくれた。

ちょっとしたポカ

 そのことが記憶の隅にあったので、今回、中1になって上京したAの希望が「築地(市場)見物」と知って、すぐに築地・浜離宮・水上バス・浅草の半日コースを思いついたのである(一緒に来た小2の妹は、「絶対ディズニーランド!」なので、そちらはホテル泊ともども妻に任せ、別行動とした)。

 しかし、連日の暑さのせいか(年齢のせいか?)ちょっとポカをやってしまった。

 私も長い間築地市場には足を踏み入れていない。様変わりへの対応と教育的配慮から、今回はガイド・ツアー(昼食付き)を選んだのだが、日にちを1日間違えたのだ。

 「足立様、明日のご予約ですよね?」

 カウンターの女性に言われ、一瞬狼狽した。けれども、そこは年の功、当然の如くこの日のツアーへの変更を申し入れ(幸運にも了承され)、孫の手前、面目を保った。

 かくして静岡からやってきた30代(?)のカップルと一緒に、東京都中央卸売市場の青果売場と水産物売場、そして場外市場を中年の女性ガイドの案内で回ったのである。

 ガイド・ツアーは正解だった。築地市場は今年11月7日に豊洲市場(江東区)に移転する予定になっているが、隣接する商店街である場外市場(約400店)は、移転せず営業を続けることなど、さまざまな情報を教えてくれた。狭い通路の各所で聞いて、耳に残ったのは、例えば次のような事柄だ。

大坂人が開いた築地

 ・築地市場の前身は日本橋にあった魚河岸。徳川家康が江戸に幕府を開いた時、将軍家や大名らに御用魚を提供するために大坂から数十人の漁師を連れてきた。御用魚以上の漁獲は市場商いを許可されたので、定住した漁師らの市場が母体となり魚河岸になった。

 ・関東大震災(1923年)で壊滅的打撃を受けた日本橋の魚河岸は、築地の海軍省所有地を借り受け移転することになり、その年の末、臨時の東京市設魚市場が設置された。反対運動もあり、現在地に東京市中央卸売市場が正式に開場したのは昭和10年(1935年)のことだ。

 ・現在、昔ながらの競りを実施しているのは、水産部ではマグロ(青果部ではメロン)のみであり、その他の品目については、各小売業者が各仲卸業者と相対で値段を決める(約1000の仲卸業者中、水産は約820)。

 午前10時になると外国人観光客がドッと場内になだれ込んできた。この時刻から見学可なのだ。荷を運ぶ細長い3輪トラック(ターレと呼ぶ)も通路を縦横に走っているので、クラクションと怒号で喧騒きわまりない。

 その頃からガイドは、場外市場の名物店や区域内の神社、寺院などを回った。

 そして正午に、場内・場外市場から少し離れたビルの寿司店でセットの昼食(寿司)を食べ、ガイド・ツアーの終了である。

 孫のAは、小学生の頃と比べ口数が少なくなっていた。しかし、築地志望は別に鮮魚の流通や移転問題に関心があったわけではなく、「寿司好きだから本場で」と思っただけなので、ともあれ目的を果たし満足そうだった。

 それから歩いて、浜離宮に行った。

 将軍家の別邸だった浜離宮でも、すれ違う客は日本人より外国人の方が多い。

 中島の御茶屋でフランス語を話す観光客らと抹茶(Aはお代わりした)を飲んだ後、堀に面した松の木陰で一服した。どこか懐かしい風景で、松林を抜ける風も心地よい。

 「あれは、ボラじゃないかな」

 水面で魚が跳ねたので、私はAに言った。

 「ジイちゃんの故郷でもよく見たよ」

 「故郷ってどこ? ふーん、境港?」

 今回は孫を送り出す前に息子から、「Aはそろそろ思春期だから会話の内容に気をつけてね」と言われていた。けれども自分の子供時代の話なら何も問題はないはずだ。

1/2ページ

最終更新:9/5(月) 12:40

Wedge

記事提供社からのご案内(外部サイト)

月刊Wedge

株式会社ウェッジ

2016年12月号
11月19日発売

定価500円(税込)

■特集 クールジャパンの不都合な真実
・設立から5年経過も成果なし 官製映画会社の〝惨状〟
・チグハグな投資戦略 業界が求める支援の〝最適化〟
・これでいいのかクールジャパン

なぜ今? 首相主導の働き方改革