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【育将・今西和男】今西-恩田-宮田、FC岐阜の歴史がつながった瞬間

webスポルティーバ 9/5(月) 19:50配信

『育将・今西和男』 特別編

岐阜での出版記念イベントを終えて


 それは感動的なシーンだった。7月2日、『徳は孤ならず』の出版記念イベント会場の楽屋にFC岐阜の前社長、恩田聖敬(さとし)が姿を現したのだ。2014年の社長就任直後にALSを発症、それでも経営に邁進してきたが、症状が進み、2015年シーズンを最後に退任を余儀なくされた。志半ばであった恩田は地元岐阜のために働きたいという気持ちは人一倍強く、退任後もスタジアムでの応援は続けている。

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 この日はFC岐阜の礎を作った今西和男が来岐するということで、自らの意志で秘書と介護士を伴い車椅子で駆けつけてきた。恩田と今西の邂逅(かいこう)、これは大きな意味を持つ。

 歴史をさらっておこう。2012年夏、当時のJリーグのクラブライセンス事務局はライセンス制度を盾にとり、FC岐阜の今西(当時社長)、服部順一(当時GM)の解任を求める文書を当時の筆頭株主である岐阜県庁に送りつけてきた。理由は「経営に消極的」であるという極めて主観的なものであった。公益社団法人のJリーグが民間会社であるクラブに、この経営者ではライセンスを交付しないという人事介入をすること自体、大きな問題であるが(しかも服部は経営者ですらなかった)、これに対して古田肇(はじめ)岐阜県知事は、FC岐阜のJリーグ加盟の際の功労者(Jリーグは今西が社長であることを加盟の条件にしていたので、これもまた矛盾している)である今西を守ろうとせず、不交付を恐れて「辞めてもらう」と解任を通告した。広島出身の今西にすべての責任を負わせて放り出したのである。私は古田知事に対して再三再四これらの件で、なぜしっかりとライセンス制度を精査せずに断を下したのか、集英社を含む複数媒体から取材を申し込んだが、その都度断られた。

 後任は古田知事の指名による県庁職員OBであった。『徳は孤ならず』に記したが、実はすでに県庁ではJリーグ側と内通していた商工労働部の職員によって、今西下ろしの密約が進んでいた。むごいのは長年岐阜のために奔走していた今西はその労に報いられるどころか、就任前の経営陣がこしらえた1億5千万円の債務保証を外されることなく、クビにされたのである。

 辞表の提出を強要された71歳(当時)の今西は顧問という肩書を与えられたが、Jリーグクラブライセンス事務局からメールが送られ、関係者パスまで取り上げられた。県庁出身の新社長はライセンス不交付を恐れて、ブラック企業さながらのこれらのパワハラに唯々諾々と従い、今西のクラブ内における居場所をなくしていった。これは地方クラブに対するJリーグによる自治の侵害であり、もしも功労者からパスを取り上げないことでライセンスを不交付にしたならば、そのこと自体が大問題になるが、抗う気概さえ見せなかった。この時期、今西は選手と接触するエリアへの入場が許されず、一般席から激励の声を飛ばしていたのである。

 2014年にFC岐阜の新しいスポンサーとして、Jトラストが名乗りを上げると、同社から岐阜出身の恩田が新しい社長として就任した。ここで歴史の断絶が生まれていた。知事を筆頭に県庁のFC岐阜担当者は、その内実をサポーターに知らせなかった。「今西は経営に失敗し、引責辞任をした人物」という烙印を押したまま風評を流通させていた。“あの時代”は失敗で、これからが再出発であるという刷り込みである。

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最終更新:9/5(月) 19:50

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