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戦時中のAKB!? 兵士たちの心の支えだった「慰問雑誌」に見るアイドルの原点

ダ・ヴィンチニュース 9/6(火) 6:30配信

 毎日のようにメディアに登場し、ファンたちを虜にする「アイドル」。彼女たちのことを想い、グラビアが掲載された雑誌や関連商品を買い漁っているファンの姿に眉をひそめる人もいるだろう。しかし、アイドルへの愛情が辛い毎日を支える励みになっているのだとすればどうだろうか。ファンがアイドルに費やした時間やお金では換算できないほどの関係性がそこにはあるのだ。それが明日の身も知れない過酷な状況下の男性たちであれば、その重みはいっそう増す。

 『兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争』(押田信子/旬報社)は戦時中の日本軍で配布されていた「慰問雑誌」の歴史と実態、そして戦時中に兵士たちの心の支えとなった美女たちの生き様を追ったルポルタージュである。そこで読者は「アイドル」という存在の根源を目の当たりにするだろう。

 慰問雑誌とは、その名の通り戦地の兵士や国内の傷病兵の鼓舞を目的として発行されていた雑誌だ。しかし、その内容がすごい。日中戦争最中の1938年から配布された『戦線文庫』の創刊号には菊池寛ら名だたる作家たちの寄稿文とともに、当時の有名女優たちのグラビアページが16ページにわたって掲載されていた。原節子、田中絹代らトップスターの扇情的な写真が、戦場で兵士たちの緊張感と恐怖を癒していたのである。その信仰性は「アイドル」の響きに相応しい。

 兵士たちのファンレターは女優たちのブロマイドを求めるリクエストで溢れた。ふだんは厳しい軍律に身を投じている彼らも、ファンレターの中では年頃の男子らしい感情を見せているのが微笑ましい。ときには女優たちからのメッセージが掲載されることもあった。兵士たちからの手紙を待つ、という内容が多く、兵士たちは美人女優と文通をしたいとの願いから気力を振り絞り、戦場へと赴くこともあったのだろう。

 慰問雑誌での美人女優起用には兵士の心の保養だけでなく、恤兵金(じゅっぺいきん) のイメージ戦略という意図もあった。恤兵金とは兵士の慰問に関する費用を国民から徴収するお金のことで、女優たちは恤兵金の献納などのイベントに頻繁に駆り出され、その写真がグラビアページを飾った。著者は、このシステムをチャリティー番組での芸能人による募金の呼びかけにたとえ ている。戦時中の女性たちも女性にしかできない方法で国家に貢献していたのである。

 慰問雑誌以外でも、兵士たちの力になった美女の姿はあった。女流作家の長谷川時雨は女性だけの銃後奉公部隊を指揮し、戦地慰問も積極的に行った。体に鞭を打って繰り返した慰問が寿命を縮めることにつながったほどだ。

 明日待子は新宿の劇団「ムーラン・ルージュ」の看板女優で、多くの兵士が出兵前に彼女の姿を一目見ようと劇場に押しかけた。陸軍病院などへの慰問公演も多く、彼女もまた、1943年に満州慰問を敢行している。

 本書中では待子の「神対応」エピソードが語られている。若き日の彼女は街中で突然、学生に銃剣を突きつけられたというのだ。現代のアイドルが熱狂的ファンから傷害を加えられてしまう事件と重なるものがある。しかし、待子は黙ってその場に立ちつくしただけだった。その理由を本人はこう述べる。

学生さんは軍事訓練など非常に辛く、死んでしまいたい心境だったと思うんです。お互いに青春時代はとてつもない、人間の生涯を狂わす出来事に遭い、辛いことの連続だったんですから

 そう思うと待子の顔には笑みが浮かんだという。学生は涙を流し、一礼をして去っていったのだった。二人が対面し、別れるまでの間にどれほどまでの心の交流が無言のうちになされたのだろうか。現代人にはとても想像できない。

 慰問とはいえ、軍に加担していたことで彼女たちに良い印象を抱かない現代人はいるだろう。事実、長谷川時雨の作家としての評価は、彼女の慰問活動によって不当に扱われている節がある。しかし、戦時中の限りなく男性主導の社会の中で、女性らしさを貫き続けながら、疲弊した男性たちを癒した彼女たちは美しい。アリーナを満員の聴衆で埋め尽くすアイドルグループと比べても、その価値が色褪せることはないだろう。

文=石塚就一

最終更新:9/6(火) 6:30

ダ・ヴィンチニュース

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